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元気をもらったあの食事

もう4〜5年前だろうか。

毎週定休日は、そこに寄ってから休みがスタートするというお店があった。

ここから先は海。というどん詰まりのエリアに住んでいるので、その辺りを通らないと町へ出られない。

坂を上って、その関所を通って町に出る。

毎週、毎週、毎週それを繰り返していた。

そこは女性3人で営まれていた、明るく活気に満ちたお蕎麦屋さん。赤紫色の暖簾、正面の屋根の付近には海老天のレリーフが施されている。

ガラガラと引き戸を開けるといつも大賑わい。パートの女の子が「いらっしゃいませ〜」と言うと、続いて厨房の中で店主が「いらっしゃいませ〜」店主のお母さまが「いらっしゃいませ〜」と輪唱のように3回聞こえてくる。いつも、どんな時も。

海老天のレリーフがあるようにここは天ぷらに心血を注いでいて、見事なチームワークによって温かい蕎麦に乗った天ぷらが、バチバチと音を立てている状態で運んできてくれる。

もうそれだけで、真摯な飲食店である事が伝わるだろう。バチバチは三位一体でなくては表現できない芸当だ。

そして極め付けはこの天むす。

こんな優しい、愛で満たされた天むすには出会った事がない。これからもこれを越える天むすには出会えないだろう(そもそも天むすをこれまで数えるほどしか食べたことはないけれど)


調理に携わる人間は、食べ物(飲み物)だけで語る事ができる。

今、書きながらその大事なことを思い出してハッとした。

○○産で、○○さんという凄い人が…。先に特別な情報を提示して、差別化を図らなくては生き残れない時代になってきたとはいえ、情報の助力に寄りかかりすぎていないだろうか。

その風貌だけで語りたい。その味だけで伝えたい。

先日、明らかにたまたま通りかかって、コーヒーマーク以外の情報がない扉を開けてくれた人がいた。

オリーブのマリネをつまみに、赤ワインを飲んでいるところに厚焼き玉子サンドを運ぶ。

予想と違ったという感じの驚きの声が漏れる。

帰り際に「卵の白身の生臭さが全くなく、ほんとうにおいしかった。なにか特別な調理のコツがあったりするのですか?」と尋ねてきた。

作り方は普通なので、○○産で○○さんという方が鶏をやさしく育てているからだと思います。と伝えた。

そうなのだ。見た目と味だけでちゃんと伝わる。伝わらないといけない。

店をを出て、2.3歩進んで引き返し、またドアを開けた。

「ここはなんという名前ですか?」

そうなのだ。旅の楽しみってこういう事だ。旅人を迎え入れる楽しさってこういう事だ。

自分が提供した食事に元気をもらった夜。

先の蕎麦屋さんは数年前のある日、突然閉店した。

良かった時期を思い出すと、こんなに良かった事があったんだから、我が人生は良い人生であると心から思える。そして、元気が湧いてくる。

差し入れでもらったこの天むす。この写真を見ると、この店の良さを分かち合っていた人たちのことも思い浮かぶ。

元気をもらっていたあの食事は、これからも私に元気を与え続けてくれるだろう。

#元気をもらったあの食事

これは東京時代に元気をくれた食事
今もやってるのかなあ

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