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数知れぬ人々の魂に届くように

みなさんは、葬式の時に流してほしい曲はあるだろうか?(通夜かな?そもそも葬式で音楽を流せるのか知らないけれど)

私の葬式の時には山下達郎の蒼氓を流してくれと妻に伝えてある(葬式と書いたけど、前にも書いたが鳥葬や野垂れ死に願望があるので、いわゆる葬式というのではなく、ごく親しい人だけが集まって昔話をしながら、その空間で流れていたなら嬉しい)。その意図はきっとその時届くだろう。とか言って誰よりも長生きしてしまうオチが待っていたりして。

数知れぬ人々の魂に届くように
山下達郎 蒼氓



Yahooニュースオリジナルの特集で山下達郎が取り上げられていた。(欧州の方々に見てもらえないのが悔しい。身内の方にスクショしてもらうなどして見てみてください。)


半世紀の間にあらゆる業界が変化してきた。
想いがあるから目指すものだった職業が、ばら撒くのに適しているから利用する人々が参入してくるようになった。

音楽の聴かれ方は、半世紀の間に変化してきた。サブスクリプションでの配信を解禁しないのか尋ねると、今の時点で山下は「恐らく死ぬまでやらない」と答える。

「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」

「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるか。それがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる。表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」
Yahooニュース 時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれから歩んできた山下達郎の半世紀


飲食業界もこれと全く同じ状況に直面している。

表現に携わっていない飲食業の人間は増えているけれど、料理や給仕という仕事に誇りを持っている人はどんどん減っていく一方だ。

飲食は現在、マーケットとしては大勝利を収めている。が、文化的にはどうだろう。魂に響くものと出逢える確率はどんどん減っている。

誰に届けたいのか。何を届けたいのか。多く人が見失っている気がする。

私も改めて見つめ直すとしよう。

「僕のビジネスパートナーは海外進出しようと何度も言ってましたけど、僕はずっと拒否し続けてきた。90年代の頭ぐらいには、ブライアン・ウィルソンとコラボやらないかとか、いろんな提案もあった。でも、興味がない。僕はドメスティックな人間なんで、ハワイとか香港とかマレーシアに行く暇があったら、山形とか秋田のほうがいい。そこで真面目に働いている人々のために、僕は音楽を作ってきたので」
Yahooニュース 時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれから歩んできた山下達郎の半世紀


山下達郎といえばラジオ。実家ではTOKYO-FMがかかっていることが多く、山下達郎ともう1人の長寿番組を持っている福山雅治という字を見かけるとその時住んでいた家を思い出す。

高校卒業後はj-waveを聴くようになった。Blendy HEART STRINGS という10分間の音楽と言葉のイメージドリップというテーマの番組がとても好きだった。

その番組はオープニングに冬はホットコーヒー、夏はアイスコーヒーを注ぎ入れる音で始まる。当時の生活ではこれが1日の句読点となっていた。(うんうん、わかる〜という人と、ここで時を超えて共感しあえたら嬉しい)

クラシックのInstagramでは毎朝ストーリーの機能を使って、漁港の定点観測と11:30の開店時にコーヒーを淹れる一連の流れの動画をお届けしている。

定休日には街のあちこちの風景を撮って回る。

「あれを毎日(毎週)楽しみにしているんです」帰り際に声をかけて頂くことが時々ある。年月を重ねてその数がどんどん貯まってきて使命感的なものが芽生えてしまったので、大嵐の日でもサボれなくなってしまった。休みの日も良い風景を探してしまう。

こちらがチャンネルを合わせれば、いつも同じ時間に必ず会える頼もしい存在。私に句読点を打ってくれていたあの番組と同じような存在となれている事がとても嬉しい。

なぜカフェを営んでいるのか。カフェを使って何を届けたいのか。行けば在る、行けば会える、いつも必ず。その安心感だ。

頑張っている人に一息つける時間を届けたい。ひとりじゃないよと伝えたい。

このnoteもそうだ。

真面目に働いている、数知れぬ人々の魂に届くように。

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