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マスク解禁日と同調圧力

思い返せば、このnoteの初エントリーはマスクの絵だ。

登録だけしてあって、特に書くこともなく放置してあったのだが、暗くなっていく世の中で、たまたま見た誰かの心にそっと寄り添えればいいなと、絵を投稿していこうと考えていた。

結局それはしなかったけれど、ようやくこの日を迎えた。(私は解禁が決まった日から、その日と今日の違いは何なのか?と考えた結果、すでに自分の店では外してしまっていたけれど)

これから書くことは他意はない。ただの事実だ。

起床して、神社に向かう。町を歩く人は昨日と変わらずマスク姿。神社では外している人が多い。それは屋外ではマスクを外していいと決まってから、そういう感じだ。

無宗教の日本社会において、信仰を持つ人は自分で考える力がちゃんとあるからなのではないかと考察している。(ちなみに私は神道ではないが、全世界で「神様」とされている大いなるモノが存在しているだろうと信じている、いや、信じたい)

一度帰宅して、支度をし、車で買い出しに向かう。街ゆく人のマスク着用率100%。

スーパーに着く。自動ドアにはまだ今まで通り「マスク着用をお願いします」の張り紙が。

あれ?日にちを間違えたかな?と一度外に出てニュースを検索する。"岸田首相、マスクなしで官邸入り"という見出しを見つける。

個人店なら張り紙を尊重するところだけれど、半公共的な場所なので首相の威を借りてノーマスクで改めて店内へ。

客、店員共に着用率100%。(私が店長でも、受け入れる側は最短でも5類引き下げまでは、着用させる方針を取るだろう)

ちょっと引かれてるのを感じる。露骨に避けた人もいた。石を投げられそうな空気感だ。

レジの人(普段あまり当たらない人)は「おや?」という目の動き。どう感じたのだろう。私は何人目のノーマスクだったのだろう。もしかしたら一人目だったのかもしれない。顔馴染みのレジの人だったら声をかけて来ただろうか?

開店前に妻と話す。最初のお客さんは、してくるか?してこないか?「まあ、してくるだろうね」と予想。予想は当たり。今まで通り、飲み物が運ばれてくるまでしっかりマスクを付けていた。最終的に、付けて来なかった人は2人だけでした。

解禁初日。自分の生活範囲内での観測結果は9割の人は昨日までと変わらず。もしかしたらこれは地方都市の特性なのかもしれない。こちらでは知り合いの知り合いは、知り合いだ。目立ってはいけない。当然最初の1人になろうなんて考える人は少ない。

私は移住者なので自己責任で際どい行動を取れるけれど、もしも生まれ育ってずっとここにいるのだったら、初日は様子見だったかもしれない。余所者は良くも悪くも波を立て、風を起こす。

東京ではどうだったのでしょう。マスクを外した人が、外していない人を攻撃する心配がされていたけれど、地方都市ではマスクを外した人の肩身が狭かったです。それでもやはり、数がひっくり返った時、懸念した通り多数派が強くなってしまうのでしょうか。

尊重し合えますように。やっと。やっと来たのだから。この日が。


前回の続報。Googleレビューには数年前からオーナーからの返信機能ができて、弁明も可能で、泣き寝入りになることはなくなった。明らかな中傷なら削除依頼も可能だ。

今回は未成年だし、文面もプロフィールも信用に値しないというのが一目で分かるので放置していたら…

増えた! 笑

お陰であからさま過ぎて、自分達のレビューの信憑性を失っている。

4人組で、2人が熱くなって、もう2人は内心引いてて、みたいな様子を想像していた。あれが金曜日なので、今日登校してそそのかされたのだろうか。ということは最後の1人も投稿するだろうか。

23時現在、新しいレビューのお知らせメールは届いていない。乞うご期待。(クラシックのアカウントを調べる→フォローしている人が私しかいない→私のプロフィールを見ると貼ってあるリンクがnote。という店主はどんな人間なのかというのが分かる仕組みを作ってあるので、4人目の子は聡明で、このnoteに辿り着いていたりして。がんばれ〜負けるな〜)

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