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偶発事故か故意の盗みか HIV発見者問題㊥

ジョン・クルードソン著「エイズ疑惑」(小野克彦訳、1991年紀伊國屋書店)から、意外なHIV発見のいきさつを紹介しています。
 
そもそも、ギャロ博士(冒頭の画像・ウィキメディアコモンズより)は、ライバルのフランス勢がエイズ原因ウイルスを発見したとの情報を当事者から、その再現実験中の最中、1983年2月の段階で得ました。もちろん、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)発見のレトロウイルスの父で、その抗体を持つ立場にいたからこそです。
そのころ、ギャロ研究室での原因ウイルス探索の実際は謎です。筆者ジョン・クルードソンがまえがきでこう書きます。
<ひとりの有力で威嚇的な科学者が一カ年以上も間違ったウイルスを追いかけ、あげくのはてに、実はパリの競争相手たちによって発見され、数カ月前に(※ブログ主注:紳士協定で)分与してもらったウイルスと事実上は遺伝的にうりふたつのウイルスを、自ら発見したウイルスとして公表した経緯がまったく欠けているのである。
1983年から84年の冬の間にギャロ研究室で何があったのかは謎のままであり、今後も完全に明らかにされることはないであろう。しかし、われわれの得た事実から判断すると、偶発事故があったのか、または、故意の盗みがあったとしか思えない。>
ギャロは筆者のその点の取材には応じなかったのです。
 
次の焦点は、誰が一番乗りを正式に認められるのか、です。つまり、権威ある医学誌でいち早くインパクトのある論文を発表できるのがどちらかです。少なくともエイズパンデミック以前は、論文発表を待たずに記者会見する「プレスリリースの科学」は大きな問題ではありませんでした。
 
論文の投稿の経緯を本書からまとめるとこうなります。
<1983年3月ギャロからパリに送られた抗体を培養細胞に添加してみても、反応は全然起こらなかった。
1983年4月初め、モンタニエ「抗体テストは陰性、新しいヒトレトロウイルスを見つけた。論文にまとめるつもりだ」
⇒ギャロ「そりゃ急いだほうがいいよ。われわれもいくつかの論文を書き上げているし、それにエセックス(※ブログ主注:ハーバード大の免疫学者でギャロの共同研究者)も論文を書いているからね。君が早く仕上げてくれれば、サイエンスの同じ号にみな同時に発表できるんじゃないかな」
モンタニエは週末ぶっ通しで、その研究に関して最大の貢献をした研究者に慣習として与えられる筆頭筆者名はフランソワーズ・バレーの報告文をまとめ上げた。>
 
フランス勢がぬかったのは次の二点です。ここをギャロに付け込まれました。
▽論文内で「このウイルスこそがエイズの原因であると言い切らなかった」
▽要約文を書き忘れた
 

ギャロの親切…


<1983年4月15日、モンタニエチームは実験助手を介して、論文をサイエンス編集部の前にギャロに持ち込んだ。
サイエンス誌は匿名の批評システムを持っているが、有力な著者については、審査員を著者が推薦することを容認していた。ギャロが論文審査役を買って出た
しかし、ギャロはすぐに要約文がないことに気付き、モンタニエに「もう時間がないから、ぼくが書き添えておこうか」と申し出た。>
※急いでいたからかモンタニエは論文の先頭に置かれる大切な要約文を書くのを忘れました。要約文は新聞で言えば見出しであり、本文を読むかどうかもそこにかかっています。それがなければ文献検索もできません。
とは言え、ライバルに任せたのはおひとよしが過ぎたかもしれません。
 

我田引水


<1983年4月19日、ギャロは、パストゥール勢の論文に自分自身とふたりの筆頭研究協力者が署名した強力な推薦状を添えてサイエンス誌の編集者に送った。…
しかし、ギャロが書いた要約文は、フランス勢のリンパ節から発見されたこのウイルスが、ギャロの白血病ウイルスそのものか、または、それに非常に近縁なウイルスであるような印象を与えるものだった。
ギャロはついでに本文に一文を付け加えた。
「ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)族のひとつと思われる」
<フランス勢は、このウイルスこそがエイズの原因であると言い切ることもできたろうが、彼らはそうしなかった。…ウイルスのエイズ病での役割が「まだ確定的ではなかった」のである。>
 

「パストゥール研は忘恩の徒だ」


<フランス勢は電話ではよくわからず、実際の要約文を見てはじめて論文中の結論を正しく反映していないことに気付いた。>
当然、ギャロに問い質すことになるのですが…、フランスからの不快の表明に対して
<ギャロは、自分のとりなしがなければ論文がサイエンス誌に受理・出版されることは絶対になかったはずだ、それを忘れた忘恩の徒である、とパストゥール・グループをこき下ろした。>
 
結局、ギャロのウイルスがエイズの原因と補強したかのような要約文によって、パストゥール・グループの第4の論文は、ギャロとエセックスの3本の論文の中に埋もれてしまいます。
ギャロ自身も
<トリビューン紙との昨年の電話インタビューで「実は、モンタニエの論文は却下されたので、私がとりなして受理してもらった」>と言い出す始末です。
 
※以下駆け足でその後のアメリカVSフランスをまとめようと思いましたが、紙幅が足りないので、もう一回を追加します。
正直、ギャロをはじめ、アメリカ政府のやり方が嫌いになること請け合いです。
 

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