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見た目にとらわれたい~最高裁判事全員✖掲示板つくりたい② 

左翼判事15人全員一致で、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に基づいて性別変更するため、生殖機能を失わせる手術という要件は違憲と判断した、さる10月25日付の最高裁判決について書いています。昨日に続く2回目です。
生殖機能の喪失のみならず、「外性器の外観手術も違憲」とする極左判事の意見を見ていて、思い出した映像が二つあります。
 
一つは、子供の間で流行っている動画チャンネルで、けばけばしいドレス姿の若者が「見た目にとらわれない」「見た目にとらわれない」と繰り返し歌いながら踊る様子です。女性だけでなく、男性もひとり混じっていて、「女装する男性という見た目に偏見を持たないで」というメッセージだと感じました。
最近、にわかに「ルッキズム」という言葉が氾濫し始めました。
ルッキズムというのは、朝日新聞の過去記事を参考にすると、「外見に対する差別(を助長する)」こと。ミスコンテストが減ったのもそれが理由でしょう。ちなみに、朝日の記事は大学のパンフレットの美男・美女図鑑にかみついたものです。
もちろん常識の範囲で見た目にとらわれないことは大切ですが、最近のネットニュースでは、「岸田首相の<増税メガネ>というあだなは、ルッキズムの観点からよくないと思う」というコメントもあって、苦笑しました。
視力が悪いのは障害かもしれませんが、外国人に日本人を書かせればメガネ姿を描くくらい日本人には一般的ですし、老眼鏡が必要になってくる還暦過ぎで、特徴のない、時の最高権力者に対して、増税に耐える国民が送ることのできる秀逸なあだなではありませんか。
最近の小学校ではあだなだけでなく、名前にちゃん付けして呼ばないように指導されているようです。昔の学校ではクラスにひとりは「メガネ」というあだ名があったもので、さすがにそれは時代に添わないと思いますが、ちゃん付けもなしというのは、随分よそよそしい、何かぎすぎすしたものを感じます。
なんでもかんでも陰謀論と言って言論封殺するように、外観に一切物言えないのは健全な社会ではありません。
 
もうひとつは、X(旧ツイッター)に投稿された外国での性自認の是非を巡る討論番組の動画で、反対派の白人男性が「私は、黒人のレズビアンだ」と言って、さらに「証拠ゼロに反論できないのが性自認を認めることだ」とたたみかけ、賛成派の自認?女性はぐうの音も出ませんでした。
見た目にとらわれない究極は、性別だけでなく、民族も性嗜好もまったく見当がつかない見た目であっても、証拠は一切出さなくても、受け入れろという無理難題です。
 
そこで、極左判事の意見を読み直すと、4年前から正反対の結論を出すに至った最大の理由は、世界保健機関WHOの疾病分類改定版(2022年1月発効)にあると感じました。WHOの改訂版には国際保健規則改定のようにろくなものがありません。

 

 
改定によって、性転換症は性別不合と名称変更され、「性に対する不快感又は不適切感」の文字は消え、「『移行』を願望」という表現が出てきます。その結果、「自分の身体をできるだけ自分の好む性に合わせるために外科的治療やホルモン療法を望む」が「自分の身体を、望む範囲で、できる限り、その実感する性に合わせるため、ホルモン療法、外科的治療又は他の保健医療サービスによって行われる」とまずホルモン療法が出てきているように“緩和”されています。
国連内で保健行政を担当するWHOがSDGs17項目のひとつ「ジェンダー平等」に従うのは当然のことです。
国連やWHOが全く信頼に値しないことは過去のnoteをご覧ください。


 
また、具体的な治療方針や治療内容については、改定版の内容は、アメリカ精神医学会や日本精神神経学会のマニュアルやガイドラインにも適っているとのことです。
見た目にとらわれない左翼判事は、この判決による社会生活上の混乱は、「現実的ではない」「極めてまれ」「相当な方策を採ることができる」「混乱の回避を目的としない」と過小評価する一方、上記の組織団体には全幅の信頼を置いているようです。
しかし、私は学会というものも全く信頼していません。これも過去のnoteをご覧ください。

 
法律の文面をこねくり回し、ろくでもない組織団体の基準を妄信するのも、最初に結論ありきだからでしょう。

次期最高裁判事国民審査では全員に✖です。ほかの選択肢はありません。
 




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