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〈第1回寄稿〉 初回参加後の寺田真理子と佐藤敬の会話への返答

ご無沙汰しております、シン・八田利也です。
第3波の感染拡大で2回目の緊急事態宣言が各地に発出されましたが、いかがお過ごしでしょうか?
第1回の視聴者寄稿に対して、初回ゲストの宮城島氏より返答の寄稿をいただきました。以下に掲載します。

◯コンセプトブックについて
酒蔵のコンセプトブックは設計の前につくったもので、建築の使用マニュアルではありません。300年以上続く酒蔵にはいくつもの建物があり、増改築が繰り返された様はひとつの町のようです。要望を叶えるために、まず現状を整理する必要がありました。どの建物を活かすのか、建て替えるのかという選択肢だけでいくつものパタンがあり、どれを選択するかでコストも大きく変わります。そうしたなかで、全体の計画を方向づけるコンセプトが必要でした。コンセプトブックは、それを関係者と共有するためのマニュフェスト・資料集のようなものです。酒蔵も牧場も、一枚の完成図を描いて「こうなります、終わり」とはならず、設計・建設は段階的で何年にもわたります。したがって、何が起ころうとしているのかを、意思決定者のみならず、プロジェクトに関わる人達みんなと共有したいと考えました。長期間にわたるプロジェクトでは、一緒に考える「伴走する建築家」が求められていると感じます。こうしたプロセスを踏むことで、佐藤さんが懸念するようなマニュアルをつくらなくても、できた建築のことをそれぞれの言葉で語り、使い倒せるようになるのではないかと考えています。

一方で、建築空間が素晴らしければ、理想的に(あるいは理想を超えて)使われる、とか永く使われる、というのはほとんど幻想じゃないかと思っています。それは建築そのものに対する信頼の有無とは別の問題かと。特に公共建築においては、酒蔵のプロジェクトほどの水準でプロセスやコンセプトを共有することが難しいと感じることが多く、取扱説明書のようなものがあっても良いと思います。ただし、その作り手は建築家一人ではなく、運営者や企画者などを巻き込んでつくるのがよいと思います。また、それ自体が建築の可能性を狭めるものでなく、建築の寛容さや、建築のひとつの環境としての可能性などを、押し広げていくものであるべきだと思います。そのように社会に伝えていくための言葉や方法を、建築家自身がもっとカジュアルに試してく必要があるのではないでしょうか。

◯コロナ禍による建築の考え方が変わったか、についての補足
社会の価値観を揺さぶるような地殻変動はずっと続いていて、コロナ禍はその過程で起こったひとつの出来事に過ぎない(大変な出来事ですが)と思います。社会や都市、仕事への影響の有無というより前に、一人の人間としての生き方が問われ続けているように感じます。どうしたら自分が居心地よく、安心して、精神的に気持ちよく生きられるのか。

コロナウイルスに関する全国初の非常事態宣言は2020年の2月28日に北海道から出されました。2019年の年の瀬に武漢のニュースが耳に入りはじめ、2月に「さっぽろ雪まつり」を控えた札幌で最初のパンデミックが起こるのは想像に難くありませんでした。実は、マスク不足が騒がれるだいぶ前のその頃、ふらっと立ち寄った薬局で直感的にマスクを多めに買いましたが、その直感的な行動は、2018年に起きた北海道胆振東部地震で得た教訓によるものでした。事務所兼住宅のある札幌市東区は震度6弱の揺れ。僕の故郷である釧路地方は大地震頻発エリアでしたが、地震による停電は初めてでした。暖房の不要な9月だったことが幸いでしたが、復旧の目処がたたないままあらゆるスーパー、コンビニ、ガソリンスタンドには長蛇の列ができ、物資はカラ。街中が混乱していました。それ以来、燃料や食料を備蓄するようにしています。僕たちはある意味ずっとサバイバルな状況にいます。猛吹雪のホワイトアウト、少し自然に入り込むと忍び寄るヒグマの影。自然が怖くなかったときなどありません。コロナ禍をきっかけに社会のあり方が変わることを期待する前に、幾多の大震災、自然災害を経て、それぞれ個人としての生活の仕方や価値観はどう変わったでしょうか?そうした個人的な変化に向き合いながら、具体的に建築設計を通して思考するしか、実感のある言葉を紡ぎ出す自信がありません。

トークイベントが行われたのが5月末。非常事態宣言が出て不要不急の外出が制限されてから、いつものように町を散歩すると、たくさんの人達が庭先でバーベキュー(これは北海道の夏の風物詩でありますが)をしたり、公園で食事をしたりしていました。少し恥ずかしそうにしながらもアウトドア用の椅子を公園にもちだし、ひざ掛けをしておしゃべりしている、そんな風景はとても魅力的に映りました。少し楽観的に過ぎるかもしれませんが、家の外や地域環境の中に居場所を見つけ出す感覚、自分たちの工夫次第で気持ち良い環境がつくれるのではないかという手応えを多くの人が感じ、そういったことを求める社会へ一歩進んだように見えました。何気ない日常が戻ってしまったように見えても、人々はとても鋭敏に、潜在的にいろいろな欲望を抱くものだと思います。それらを顕在化するように建築をつくるとどんな建築や風景が生まれるのか、もう少し時間がかかるかもしれませんが探っていきたいと思います。

考えてみると、これまで関わってきたプロジェクトのお施主さんや市町村は「3.11」を経てから、コロナ禍よりずっと先を見据えている感じがします。コロナが起こって大きな方向転換を迫られているというよりは、いま進もうとしている方向が正しいのだと確信し、それぞれに苦しみがありながらも追い風にしようとしている。

少しツーリズムにひきつけてみます。地域が地場産業を活かして自立する、その過程で観光の力を利用することが必要だと感じ、実際のフィールドで、まちづくりや地域計画の視点からそこに必要な建築のあり方を考えたいと札幌に移住したのが2011年4月。その試みのなかで北海道胆振東部地震があり、コロナ禍に突入。現在はインバウンドがほぼゼロ。それでも、関わってきた美瑛町や池田町などの自治体を中心に目指してきたのは観光依存型の町ではなく、観光利用型、観光制御型の町です。地域の主産業を支えるために観光を手段とする、その方向性は間違っていなかったと思います。もともと移住者の多い美瑛町では早速テレワーク受け入れ事業が始まり、町民が子供を遊ばせながら仕事や勉強もできるような場所にできたらいいね、と言っていた筆者設計の「丘のまち交流館””bi.yell”」はテレワーク用のサテライトオフィスとしての利用実験が始まりました。

2020年の3月に改修が完了し、7月にリニューアルオープンした十勝ワインの拠点ワイナリー、池田ワイン城では、町営ワイナリーとして、ワインづくりの歴史やコンテンツを最大限に活かすように、北海道大学観光学高等研究センターと協働で、運営組織の改革からソフト構築、改修設計までを行いました。これまで入込客数の多くを占めていたインバウンドがゼロであるにもかかわらず、前年比の客数を上回るかたちで推移しており、リニューアル効果は当然あるものの、近隣観光の活発化が目立っています。近場の宝をしかるべき方法で磨いてゆけば、近隣住民にとっても魅力的なコンテンツになり、同時に対外的な訴求力も増すようです。移動に心理的、物理的なコストがかかるようになると、商業主義的なフェイクや中途半端なものはすぐに見限られ、どんどん価値を失っていくように思います。そうならないためにも地域に根ざした産業や、地域の都市的な空間を支える建築は、農家や牧場などの一次産業施設にせよ、ワイナリーや酒蔵などの生産施設にせよ、町の公共空間にせよ、まだまだ発明が待たれている状態だと強く感じています。

宮城島さん写真



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