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【アニメ一考】葬送のフリーレン#1〜終わりははじまり〜

アニメから考えたこと

アニメってどう観ている?

私はアニメを観ていて
「純粋にアニメを楽しむ」
という思いもあるが、
「自分がどんなことに心を動かされているか」
「自然と自分が何に思いを馳せているか」
など考えを巡らせながらアニメを見る癖があることに気付いた。
(誰にでも多かれ少なかれあると思うが)

自分の心の針が振れるということは、そこに
「自分の価値観に響く何かがある」
ということ。

そしてそれは、
浅いモノもある一方で、
自分の深層心理の中で埃をかぶっていて自分が認知できていない、
「言語化できていない得体の知れないなにか」
もあるかもしれない。

それを少しでも腑に落ちるものにしたくて。
言語化することで埃を払い、自分の中に確かにあるモノにしたくて。
【アニメ一考】として書いてみることにする。


この記事はネタバレを含みます。
気にされる方はご注意ください。



葬送のフリーレン#1

終わりははじまり

「なにかが終わる」
ということは
「新たな何かがはじまる」
ということ。

「終わる」という言葉は、なにかそれだけで物悲しさのようなものを帯びている。
それでも、ゴール地点は新たなスタート地点にもなる。

『表裏一体』
そう考えると、ふと感じた物悲しさがなんだか軽くなるのを感じた。

旅の終わりは新たな旅のはじまり。
「前の旅」と「これからの旅」は別物だけれど、
「前の旅」の記憶と経験が「これからの旅」には反映されている。
「前の旅」がなかったら「これからの旅」の形もきっと違うものになっていた。
確実に「前の旅」は私の中に根付いている。

これは、ある意味人生そのもの。
「今まで通ってきた道」があるからこその「これからの道」。
過去を糧とし、現在を歩き、未来へと進んでいくこと。

「生きる」という普遍的なテーマを感じた。

時の流れ

「50年も100年も彼女にとっては些細なものかもしれませんね。」
50年後の約束。

抗うことのできない時の流れ。
人にとって50年や100年は一生涯と言ってもよいくらいの長さだ。
街並みは大きく変化し、人は老いる。

では、「時の価値」は人とエルフ※で違うのだろうか。
 ※エルフ(フリーレン)の寿命は2000年と言われている。

時の流れの感じ方は人それぞれ違う。
それでも
「その時をどう過ごすか」
それが「時の価値」を決めるのではないか。
少なくとも
「時の価値」を自分自身が認められる過ごし方ができるように。
そうやって日々を重ねていきたい。

失ってはじめて気付くこと

「だって私、この人のこと何も知らないし。」
「たった10年、一緒に旅しただけだし。」
悲しい顔をしていないと言われた後、勇者ヒンメルの墓前で泣きながらそう呟いたフリーレン。

それでもフリーレンはこう続ける。
「人間の寿命は短いってわかっていたのに、何でもっと知ろうと思わなかったんだろう。」

当たり前にそこにあったもの。
失ってはじめて気付くことは多々ある。
失う前から気付けるに越したことはない。
でもそれはなかなか難しい。
じゃあどうするか。

それは過去から学ぶこと。
それは「自分の大切」を明確化しておくこと。

過去に感じたもの、考えたこと。
そこから目を背けていたら同じことを繰り返す。
しっかり正対し、目を向けてもう一度考える。
そうすることで防げる
「失ってはじめて気付くこと」
も多少はあるかもしれない。

フリーレンにとっては
「人(他者)を知ること」
「人(他者)と過ごした時間」
だったのだろう。

だからその後、
「私はもっと人間を知ろうと思う。」
「旅先で会う人とはなるべく関わるようにしているからね。」
と、新たな旅での指針にしている。

私にとっての指針は何だろう。
今一度考えてみたいと思った。

人生のピーク

「人生ってのは衰えてからの方が案外長いもんさ。」
アイゼンの言葉。

「衰え」によってできなくなることは増える。
だが、過去の蓄積によって明確化されたものが増え、
「大切にできること」
「これからの自分の向かう先」
など、人生の精度は増していくのではないか。

そう考えると
日々の積み重ねによって、衰えてからの過ごし方をも磨いていける。
どう日々を積み重ねていくか。
「これから」を輝かしていけるよう思考を重ねていきたい。
そう感じた。

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