「嫌われたくない」と「誠実さ」の綱引き
やさしくありたいけど「いい人」にはなりたくない。
そう思っているんですが、じゃあ「いい人」って、どんな人でしょうか。
講座の中で聞いてみると、
怒らない人。話を聞いてくれる人。頼みやすい人。にこやかな人。などなどが挙がりました。
「朝ごはんをつくってくれる人」なんて回答をいただいたこともあります。笑
わたしが気を付けているのは、「“都合の”いい人」にならないことです。
「“都合の”いい人」は、やさしい人ではないと思うから。
だって、そこにガマンや犠牲があるのなら、自分に対してやさしくできてないってことですよね。「“都合の”いい人」とは、断る勇気が持てなかったともいえると思います。
自分の考える「やさしさ」や「いい人」を定義してみると、いろいろなことに気づきます。
たとえば、『7つの習慣』でいう「Win-Win or No Deal」は、「今回は取り引きなしにしましょう」であって、「あなたとは」ではないというところがポイントです。
今回は合意に至らなかったけれど、将来的にあなたと「Win-Win」になれるところを探しましょう、という考え方なんですよね。
わたしはこれぞ、「やさしくありたいけど“いい人”にはなりたくない」だと考えています。
あなたにとって「“都合の”いい人」にはならない。たとえ一時嫌われることがあったとしても、自分に対しての誠実さを貫く。
お断りを伝えるのは勇気がいります。工夫も必要です。嫌われる可能性だってある。それでも将来の「Win-Win」にベットする。
いやー、これって覚悟の原則ともいえそうですね。
『嫌われる勇気』という本を読んだことがないと言う人に理由を聞いてみたら、
「わざわざ嫌われるようにするなんて、意味が分からない」
というお話でした。なるほど、タイトルだけ見ると、そういうふうにも読みとれます。
もしかしたら、「No」と言うことに対して、身構えすぎているのかもしれません。
それは、「No」と言われたときの痛みを記憶しているから。
「嫌われる勇気」とは、自分に対してどれだけ誠実でいられるかを説いている本だと、わたしは受け取っています。そして、その誠実さは、相手に対しても向けられるもの。
今朝、「誠実」について考える機会がありました。
他の方のお話を伺っているうちに、「巻き込む」という言葉に対して否定的な印象を持っていた自分を思い出したのです。
「巻き込む」側の人に対して、誠実さをどこで見極めたらいいのだろう。
「巻き込む」をされた側の人に対して、どんな配慮ができるだろう。
「Win-Win or No Deal」の余地を残しているか。「“都合の”いい人」として利用していないか。フラットな関係が築けているか。犠牲はないか。
嫌われることを怖れて「いい人」でいようとしていたら、お互いに誠実ではいられないのかも。
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