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「がんばらない」を目標にしてみた

目標って、あったほうがいいのか、別になくてもいいのか。疑問に感じたこと、ありませんか?

営業関係の仕事なら、数値目標などがあることも多いので、「ある」ことが自然と感じる人もいるのかしら。逆に、仕事で目標に追われているから、プライベートでまで目標なんて考えたくない!てこともありそうですね。

かくいうわたしは、10年くらい前まで目標がありませんでした。

もちろん、生きる目的も。

年間目標はもちろん、月間も週間もなく、ただ目の前にある「やること」を淡々とやるだけ。

クリエイティブ系の部署やバックオフィスにいることが多かったので、仕事の上でも目標を立てる必要はありませんでした。

朝起きて仕事をして、帰ってきてからはご飯を食べて、レンタルしてきた海外ドラマを観て、本を読んで、寝る。

その繰り返しの日々で、充分に「平穏で幸せ」だったのです。

でも、かつては違いました。わたしには「やりたいこと」があり、親の反対を無視して東京に行ってでも、叶えたい夢がありました。

パワハラによって、その夢に幕を下ろしたあと、「パイプの浮かんだラーメン」を食べるような長い長いトンネル期間を経て、ようやく、「平穏で幸せ」な生活になったわけです。

そんなある日、本屋さんで完訳版の『7つの習慣』を見かけました。むかーし、読んだ時は、

「おっちゃん、いいこと言ってるのは分かるけどさー」

くらいの感想しか持てなかったけれど、せっかくだしもう一度読んでみようか。

そう思ったのが運のツキ(?)で、今の自分に必要なことが次から次へと見えてきて、愕然となりました。そのとき感じたことを正直に言うと、「えらいことになった……」しかなかった。

わたしが最初に取り入れたのは「第1の習慣:主体的である」です。なにより言葉遣いを意識していました。

そうしてようやく第1の習慣が、少しずつ自分の中に根付いてきたころ、気づいたのです。

「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」が、まーーったくできない!

実は以前の96年版では「目的を持って始める」というタイトルだったんですよね。どちらがイメージしやすいかは、山登り型と川下り型の思考タイプの違いもあるかもしれません。

どっちにしても、わたしにはまったく「終わり」も「目的」もなかった!!

そこでハッとしたわけです。

わたしは「平穏で幸せ」な日々を送っているのではなく、「人生に退屈」していたのだと。

目標を立てることは、不安を伴います。めんどくさいことだし、立てたら達成しないといけない気がしちゃうし、なくても「平穏で幸せ」なのだし。

そこで、1年目は「がんばらない、無理をしない」という目標を立てました。

オイオイって感じのスタート……。

それでも、もう一度「一年の目標」を立てるようになり、人生の目的=ミッション・ステートメントを作り、日々の行動指針まで作るようになったいま。

あの、「平穏で幸せ」だった日々とあえて比較してみると、やっぱり今のほうが「わたしらしい」と感じます。

目標って、あったほうがいいのか、別になくてもいいのか。

今のわたしは「あったほうがいい」と考えます。相変わらず海外ドラマを楽しんでいますが、日々、「わたしらしさ」を発掘しながら、たくさんの出会いを楽しむことができているから。

もし、「目標なんてなくても、十分幸せだもん」と思う方は、その選択によって、得たもの・失ったものを考えてみてもいいかもしれません。

一度「がんばらない、無理をしない」をやってみたら。

自分がどれだけアクセル踏みっぱなしになっているのかに気付きますよ……。


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