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そもそも論として、対立を先鋭化させてはいけないのだろうか?

Twitterを見ていたらこのようなツイートを目にした。


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このツイート主はとある弁護士さんらしいが、

「自分と異なる価値観を許容することが大事」

「対立を先鋭化させない努力が大事」

――このようにおっしゃっているワケだが、私はどうにも釈然としなかった。

そもそも論として、対立を先鋭化させてはいけないのだろうか?


なぜ、対立を先鋭化させてはいけないのだろうか? 戦略として相手の考えを理解する必要はあるかもしれないが、必ずしもその考えを許容する必要などないと考えるがいかがだろうか?

対立を回避するために先鋭化を防ごうと言う考え方は、結局はただ相手に屈服することに繋がる無意味な優等生的理屈に聞こえてならない。

また、対立が先鋭化してしまったら、それはAの価値観を許容できなかったBに問題があるとでもいうような無意識の前提に立脚した発言のように聞こえるが、Aの価値観が暴力的で一方的で人権を無視したようなものであればBからの反発は必至であり、そこで対立が起きたらそれはむしろAの価値観の問題だろう。

ロシアによるウクライナ侵攻によって両国の対立は先鋭化しているが、それは国際法を無視して他国に軍事侵攻し、多くの非人道的行為を繰り返すロシアに先鋭化させた原因があるのであって、決してウクライナに原因があるわけではない。

もし、ウクライナ側がロシアとの対立を先鋭化させないよう彼らの価値観を許容するのなら降伏するしかないのだが、これは正しい選択だと言えるだろうか? 対立の先鋭化は回避されるだろうが、結局は別の形で多くのウクライナ人の命が危険に晒されるだけだろう。

「相手の価値観を許容すること」=理性的で穏便で平和的な行為

このように思っている方も多いと思うが、どうも当事者意識のない奴隷的で言い訳がましい理屈にしか聞こえず、結局は己を最大限に犠牲にする結果にしか繋がらないような気がしてならない。

何より、これは全体主義の温床ともなりかねない考え方だと思うので、特にコロナ禍によって己の家畜的従順性が大いに暴かれてしまった大多数の日本人は、この

「相手の価値観を許容することは素晴らしい」

――的な理屈に対して批判的な精神を持ち続ける必要があるだろう。


天乃川シンTwitter 

https://twitter.com/shin_amanogawa

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