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18、黒須タケシとスキンヘッドの男

――バイクとぶつかる! 
私はぎゅっと眼をつむった。

……あれ? 
ぶつからない。なぜ? 
バイクは私の体を避けていった? 
私は身を守る為に顔の前に構えていた腕の間から前方を確認した。

……ここはどこ? 
周囲の様子を見た私は両腕を下ろすと思わず眼をこすった。
周囲は暗く、幅の狭い道路の左右にはネオンに彩られた雑居ビルが並び、サラリーマン風の男の人達が酔っぱらった様子で楽しそうに歩いている。
そんな繁華街の道の真ん中に私は立っている。
――ここは南大川駅じゃない、きっとどこかの繁華街だろう。 
詳しい時間は分からないけれど今は夜みたいだ。
――寒い! 
真冬ではないだろうけれど、半袖に七分丈のズボンで心地良い季節ではなさそう。
私の格好は南大川駅にいた時のままだ。

私はまたタイムスリップしてしまったの? 
私はシンの過去の世界に来たの? 
でも、この繁華街にシンは来た事がない筈。
私にはこの場所の記憶がないのだから。
どうやら私は、体ごと南大川駅からこの場所にタイムスリップしたらしい。

でも、何であの赤いバイクが現れたのだろう? 
あのバイクは前の世界では十年後に、シンが二十五歳の時に現れる筈。
しかもこの繁華街じゃなくて東京と神奈川に跨る峠に。
空間と時間が捻じれたの? 
体内ブラックホールが攻撃を仕掛けてきたの? 
私が順調に事を運んでいるから怒ったのかな? 

――ん? 

私は右手で誰かの手の様なものを握っている。
右側を見るとルカの姿があった。
あぁ、良かった! ルカは無事だった。
怪我はしていない。
ルカは眼を大きく開いたままじっと前方を見つめている。

「……ルカ、ルカ」
 
私は握った手を上下に振りながらルカの名を呼んだ。
ルカはハッとして私の顔を見た。

「――シン君! 良かった、無事だったのね!」
 
ルカは両手で私の手を握った。
私はルカの体を引き寄せた。

「あぁ、大丈夫、大丈夫だ。……でも、何だかおかしな事になった。すごく寒いし」

「うん。ここは南大川駅じゃない。バイクも消えちゃったし。これは一体どういう事?」

「俺達はバイクに轢かれて死んだのかな? ここは死後の世界なのかな?」

「人間は死んだら夜の繁華街にやって来るの? そんな事ないよ、私達は死んではいない。それにここは多分、七王子駅の北口から少し歩いたところだよ」
 
七王子駅の北口? 
確かにここは七王子市かもしれない。
ここから少し離れた所にある雑居ビルの前に置かれた居酒屋の看板には、七王子市の市外局番で始まる電話番号が表示されている。
それに道路の先には歩道橋やバスのロータリーが見え、その向こうの建物の外壁には「TEIO PLAZA HOTEL」という文字が白く光って見える。
七王子駅の北口に「帝王プラザホテル」はあった筈。
確かにあそこは七王子駅の北口だ。
そうするとこの繁華街の位置は七王子駅の北口を背にして左の方、西の方角にあたるのだろう。

「……何でこんな所に来ちゃったのかな?」
 
ルカはそう呟くと私の手を離し辺りをウロウロと歩き始めた。

ルカは南大川駅に居た時と同じ格好。
青いボーダー柄の白いシャツ、くるぶしの所でロールアップしたデニムのパンツ、首に巻いた赤いバンダナ。
……私は黙ってルカの歩く様子を眺めた。

ルカは二メートル程離れた所に歩いていった。
その時、突然ルカの姿が消えた。
そう思ったらルカは私のすぐ右側に移動した。
ルカは元々いた場所に瞬間移動してしまった。

「……何? どうして?」
 
ルカは訴えかける様な眼で私を見た。
私は黙ってその場から歩きだした。
でも、二メートル程歩くとルカの左側に瞬間移動してしまった。
私も元々いた場所に戻ってしまった。
私とルカは眼を合わせた。ルカは不安そうな表情で私の右手をギュッと握った。

すると私達の後方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
私とルカは振り返った。
大学生風の男女の集団がこっちに向かって歩いて来る。
二十人程いるだろうか? 
皆、赤い顔をして楽しそうな様子。お酒を飲んでいるのだろう。

「シン君、あの人達こっちに向かってくるよ。……どうしよう?」
 
男女の集団は道に広がる様にして歩いて来る。
避けなければぶつかってしまう。
私はルカの手を掴んだまま道の端に走って行こうとした。
でも、二メートル程進むと元々いた道の真ん中に戻ってしまった。

男女の集団はすぐ眼の前まで来ていた。

「ごめんなさい! 私達動けなくて避けられないから、だから……」

ルカは男女の集団に向かって大きな声で訴えた。
でも、男女の集団にルカの声は聞こえていない様子。
すると先頭の二人の男子が私とルカにぶつかった。

――瞬間、二人の男子は私とルカの体をスリ抜けていった。

その後、十人程の男女が立て続けに私とルカの体をスリ抜けていった。
男女の集団は何事もなかった様にそのまま歩いて行ってしまった。

ルカは私に身を寄せた。

「どうして? どうして体をスリ抜けていったの? 声も聞こえていないみたいだったし。私達はシン君の言う通り死んでしまったの?」
 
私達は死んで地縛霊というやつにでもなってしまったのだろうか? 
でもこんな繁華街で地縛霊になる意味が分からない! 
あぁ、せっかく自転車に乗ってルカと楽しんでいたのに! 
シンの体内に閉じ込められても何とか頑張ってここまで来たのに! 
シン、モノノリ、早く戻ってきて! 
神様、助けて! 
どうして色々と嫌な事が起きるの? 
神様、返事をして!

「ちょっと、やめてよ!」

誰かの叫ぶ声が聞こえた! 
神様? 
違う、女の人の声だ。

私達の立っているすぐ左側の雑居ビルの前で、赤いドレスに白いコートを着たホステス風の若い女の人が、傍にいる男の腕を振り払おうとしている。
聞こえてきた叫び声はこのホステスの声だ。

「いいじゃねえかよ馬鹿野郎! デートしてくれるんだろ?」
 
黒革のロングコートを着たスキンヘッドの男がホステスの腕を掴んでいる。

「お前から声をかけて来たよな? だったら最後まで相手しれくれよ」
 
スキンヘッドの男はタバコをくわえたままニヤニヤとしている。
ホステスが腕を動かしてもスキンヘッドの男は腕を掴んで離さない。
ルカは怯えた表情をしてさらに私に身を寄せた。

「いい加減にしてよ!」
 
ホステスはそう言うとスキンヘッドの男の頬を平手打ちした。

「やりやがったな、この野郎! 殺すぞ!」
 
スキンヘッドの男はくわえていたタバコを吐き捨てると、ホステスの腕を背中に回して捻じり上げた。

「痛い! やめて!」
 
ホステスが苦しそうな表情で叫ぶとスキンヘッドの男はゲラゲラと笑いだした。

するとその時、

「おーい、どうしたのアケミちゃん?」

と呼ぶ男の人の声が聞こえてきた。

「お願い、助けて!」

ホステスは必死に声の主を探している。
アケミというのはホステスの源氏名なのだろう。

「どうしたの? 何かトラブル?」

声の主は雑居ビルの階段から下りてきた男の人の様だ。
背が高く、口元に髭を生やした中年男性。
ベージュのトレンチコートに濃い色のデニムのパンツ、茶色いブーツを着用している。
足が長くモデルの様にスタイルがいい。

「黒須さん、助けて!」
 
アケミというホステスは中年男性に向かって叫んだ。
……黒須さん? ルカと同じ名字だ。
するとルカがホステスに負けないくらいの大きな声で叫んだ。

「お父さん! 何でここにいるの!」
 
お父さん? 
私は驚いてルカの顔を見た。
ルカは「まずい」といった表情をして素早く両手で口元を押さえた。
自分の大きな声が周囲に聞こえてしまったら良くないと思ったのだろうか? 
でも誰にもルカの声は聞こえていない様子。

「シン君、あの人は私のお父さん! 黒須タケシ!」

「何だって! ルカのお父さん?」
 
あれがルカの父、タケシ……。
あの人が家に火を放ってルカ達を殺した張本人だ。
ニュースで顔写真を見た時にも思ったけれど、全くそんな事をする人には見えない。
実物は優しそうな人に見えるのに。
でもあの人はこれから精神的に追い詰められていく。
そして家族を殺してしまう。
前の世界ではそういう人生を歩む事になっている。

「……お父さん。……七王子駅にはよく会社の人達と飲みに行くから……。私達はその場面に遭遇しているのかな? でも何でこんな場面に私とシン君は来てしまったのかな?」
 
スキンヘッドの男に腕を捻じり上げられたアケミというホステスの様子を見て、タケシは事の次第を察したのだろう。
タケシはスキンヘッドの男に近づいた。

「お兄さん、そんな事をしたら腕が折れちゃうよ」

「何、お前?」
 
スキンヘッドの男はタケシを睨みつけた。

「社長、こちらの方ヤバそうっスよ。やめときましょうよ」
 
タケシの後ろにいた三十代前半くらいの男の人が声を潜めてタケシに訴えている。

「丸山さんだ! あの人はお父さんの会社に勤めている人!」
 
そうか、タケシはあの丸山という男と一緒に、アケミというホステスが勤めている店にやって来たのだ。
 タケシはスキンヘッドの男に向かって両腕を広げた。

「人が気持ち良く帰ろうとした所にタイミングが悪い。イキがるならもっと強い相手にしようぜ、お兄さん? さぁ、手を離せ」
 
タケシはスキンヘッドの男の腕を掴んだ。
するとスキンヘッドの男はホステスの手を離しタケシの腕を払い退けた。

「触るんじゃねえ親父! てめぇ、やるのかこの野郎!」
 
スキンヘッドの男は拳を握り締めファイティングポーズを取った。

「大変! お父さんがやられちゃうよ!」
 
ルカは私の胸倉を掴んで叫んだ。
丸山やホステスも怯えた表情をしている。
タケシの方がスキンヘッドの男よりも十センチ程背が高い。
それに意外と肩や腕はガッチリしている様にも見える。
でも、スキンヘッドの男の方が喧嘩に慣れていそうだ。
年も二十代後半くらいかな? 若いし。
……確かにタケシはやられちゃうかもしれない。
でも私は何も出来ない。
透明人間だし、この場から動けないし!

「子供はおウチに帰りなさい」
 
タケシはそう言うとホステスの腰を支え、その場を後にしようとした。

「何だとてめぇ!」
 
スキンヘッドの男は顔を真っ赤にすると、突然右手でタケシの顔面めがけてパンチを繰り出した。

「お父さん!」
 
ルカは泣き出しそうな声で叫んだ。
するとタケシは体を回転させてパンチを避けた。
そしてそのまま流れる様な動きでスキンヘッドの男の右腕と胸倉を掴むとグッと腰を屈めた。

――瞬間、スキンヘッドの男の体がぐるりと宙を舞う。

タケシはスキンヘッドの男を地面に叩きつけた。
スキンヘッドの男は仰向けに倒れて動けなくなった。
呻き声を上げて身をよじっている。

「ルカ! お父さん勝った!」

私は拳をグッと握った。
ルカは眼を丸くしている。
 
タケシは「ふぅー」と息を吐くと額の汗を拭いながら立ち上がった。

「危ねぇ、危ねぇ。『柔良く剛を制す』だ」

「社長、強いですね! 背負い投げじゃないですか!」

「黒須さん、すごぉい!」
 
丸山とホステスが手を叩いて喜んでいる

「大学の時以来、柔道は全くやっていなかったから……。でも、『昔取った杵柄(キネヅカ)』だ、まだいけるな」
 
タケシが上着の乱れを整えると、喧嘩を見ていた通行人達が歓声を上げて拍手をした。
タケシは両手を上げて歓声に応えた。
 
その様子をじっと見つめていたルカが口を開いた。

「……シン君、まるで私達はこの場面を見る為にこの場所にやって来たみたいね。この場面を見なければいけないから、この道の真ん中から動く事が出来なかったのかもしれないね」

……確かにそうかもしれない。
私達はこの場所にタイムスリップして、ルカの父とスキンヘッドの男の喧嘩を見るように仕組まれていたのかもしれない。
……これも体内ブラックホールの仕業? 

「ルカ、聞いて欲しい話しがある」
 
私は唐突に体内ブラックホールについての話しをルカにしようと思った。

「何?」
 
ルカは私の眼をじっと見た。

「……いや、何でもない。」
 
私は思い直して話しをするのをやめた。
理解出来る筈がない。
私の体の中にブラックホールがあるなんて話しを信じる訳がない。
それに話しを理解してもらうには、私がシンの傍に三千年存在していた話しやタイムスリップを繰り返した話し、モノノリやアオノリと出会った話しもしなければならない。

「今、ルカが喋っている相手はシンではなくて実はアナです」

なんて話しもしなければならない。
……言うだけ無駄だ。

「シン君、スキンヘッドの人が立ちあがったよ!」
 
ルカが私の腕を掴んだ。

スキンヘッドの男はよろよろと立ち上がると何も言わずタケシを睨みつけた。
タケシはスキンヘッドの男の肩をポンポンと叩いた。

「悪かったな。これからは馬鹿な事はやめた方がいい」
 
スキンヘッドの男はタケシの足下に唾を吐き捨てると、足を引きずりながら七王子駅に向かって歩いて行ってしまった。
 
その時、突然私の眼の前が白く光った――


➡ 19、桜木の恫喝

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