またひとつ、宝物の出会い。
キスマイのファンクラブに入った。
noteで話したかは分からないけど、私はアレキシサイミア(失感情症)という気質を持っている。
病気ではなく気質だから、
良くなる・ならないという話ではなく、理解してうまく付き合うしかない。
簡単に言うと、感情の揺れ動きをいわゆる「心」ではなく、身体で認知してしまうのが私。
喜怒哀楽というストレスを、心で感じることができずに身体で感じてしまう。
感受性は人並みに持ち合わせているのに、心がとても鈍感だということ。
さらには身体の悲鳴にも鈍感。
心が相当やばいところまでいって「身体の痛み・不調」となって表れてくれなければ、ストレスを感じていることにまるで気付けない。
ここひと月ほど、ずっと体調が悪かった。体調が悪いところまでいくってことは、だいぶ心がやられていたはず。
家にいることはなんともない、むしろ「いなさい」「いていい」と言われるだけ、気が楽なくらいだったんだけど(生活や罹患の不安はさておき)
ただ、日本中、世界中がずっと喧嘩しているみたいなこの空気。
もちろん頭では、ちがうと分かっている。それでも、揚げ足の取り合い、奪い合い、そういうものがすごく目に映った。
ものすごく綺麗事だけど、人々がいがみ合う姿を見るの、私はたまらなくつらい。甘い考えだっていうのは、分かっているけど。
メディアに流れる優しい音楽や温かい言葉は、どうしてか私の心をさらに陰鬱とさせた。
ぬくもりを与えられるよりも、ぐっと無理やりにでも、明るいほうへ引っ張ってくれる存在に出会いたかった。
そういう存在を、たぶん無意識に求めていた。
自分をあたためることは、なんとか自分でできる。
でも、引き上げることって、なかなかに難しい。
とくに私は、誰かの力がなくては、自分を奮い立たせることができない。
そんなときに出会ったのがキスマイだった。
なにかとくべつがあったわけじゃない。
ただ、久しぶりに声を出して笑った。
なんだったかな、なにを見たんだったかな。
とにかく、ただ笑った。久しぶりにそれができたんです。
たったそれだけで、ずっと辛かった身体の痛みがやわらいで、長かった夜を眠れた。
息苦しさも、少しずつ消えていった。
心のやすらぎというのかな、鬱々とした日々のなか、彼らがいろんなことを忘れさせてくれた。
アイドルってすごいな。うん。
私には好きなものがたくさんあるけど、ひとつひとつを辿ってみれば、
どれも同じように、苦しみから救ってくれた存在ばかりかもしれない。
そういう存在が「柱」みたいになって、いまも、いつも、私を支えている。
結局、心がどん底にあるときって、いちばん「自分」なんだと思う。
元気なふりをしたり、飾ったり、そういう余裕がまるでない自分。裸の自分。
そんな状態で惹かれるもの、すがるものって、つまりは心の底の底から求めているものなんじゃないかな。
生きていくために必要で、出会うべくして出会うもの。
大げさに聞こえるかもしれないけど、エンタメの力を私は知っているから。
またひとつ、私を生かしてくれる存在に出会えたことを、とても幸せだと思う。
少しずつ外に出られるようになって、今日、ファンクラブに入りました。
そんな日をここに、記します。
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