閉鎖病棟‐それぞれの朝‐【雑感】

タイトルのとおり。良い映画だった。こういう邦画は好きだ。ネタバレしない程度の雑感と、本作のリアリティについてつれづれなるままに書いていく。

■エンドはないが、希望を感じられるラスト

綾野剛(チュウさん)の声、語調はやはり良い。好きだ。聞き取りやすく、優しい。心の琴線に触れてくる。

チュウさんという男が発症に至った過程までは描かれていないが、おそらく真面目で優しく、他人の思いまで抱え込んでしまう人間だったのではないかと推察する。

あえての言葉を使うとチュウさんは、患者のなかではいたって「普通」に見える。
しかし、閉鎖病棟という空間に違和感なく溶け込んでいる姿、ときに短絡的で突発的な行動に出てしまう点など、病の描写が実にリアルなセンをついている。

小松菜奈(由紀)は、難しい役どころを丁寧に演じていた。
少しずつ瞳に輝きを取り戻していく、そんな表情の変化が良かった。

これでもかというほどに由紀を襲う絶望。あの叫ぶような泣き声に、胸が切り裂かれそうになりながらも「ようやく由紀は泣けたのだ」と、じわりともらい泣きした。

彼女が秀丸に伝えた最後の言葉は、彼の生きる希望になったはずだ。

笑福亭鶴瓶(秀丸)は、彼のままで役が成立している。本編では、彼が今回起こした事件について、どこまで真相を隠していたのか、はっきりとは分からない。

少なくとも由紀に起こった出来事に関して、彼が隠し通したかったもの、守り抜きたかったものを、理解することはできる。

しかし、秀丸も、秀丸に相談したチュウさんも「ああいう手段」でしか問題を解決させる術をもたない。それが見ていてもどかしい。

己の手を汚してまでも隠してやりたかったものは、隠せなかった。では、彼がしたことはなんだったのか。

ほかの解決法が、救いが、必ずあったはず。だれかの力を借りるべきであったはず。そう思うと悔やまれる。


物語じたいは、中盤を過ぎたあたりで容易に最悪の結末を予想できてしまうつくりだ。

しかし「どうかそうでない結末を」と、手を組み目を閉じ祈ってしまう。それくらいには、しっかりと感情移入できる映画だった。


病院に自分の居場所を見つけるのは、間違っていることかもしれない。
「ここにいるとみんな患者になってしまう」、たしかそういったセリフもあった。

チュウさんも、由紀も、外の世界や家族ではなく、病院にやすらぎと居場所を感じていた。彼らの現実を思うと、それが悪いことだとは思えない。

奇しくも事件を機に、ふたりは病院から外の世界へと出ていく。チュウさんの不安に、看護師がかけた言葉が心に残った。

人間は「いつでも帰れる場所がある」、そう思うだけで一歩進むことができる。つまづいたり、間違ったり、辛くなったときにいつでも帰れる、そんな場所があれば、どうにか生きてける。そんな気がした。

彼らにとって「帰ることのできる場所」は、病院であり、互いの存在なのだろう。

本作に「エンド」はなく、これから彼らが歩んでいく現実が、どうか優しいものであれと願うことしかできない。

それでも希望はある。そう感じさせるラストだった。

そして「K」の歌声は反則だ。エンドロールが終わるまで、誰ひとりとして席を立たなかった。

■閉鎖病棟について(作業療法士の視点から)

精神科病院および閉鎖病棟には、実習生としてお世話になったことがある。とはいえ、長く実習した病院で2ヶ月程度。経験というほどのものではない。

精神科病院といっても雰囲気はそれぞれで、今回の舞台である六王子病院のように「上」「下」と呼び、人里と世界を隔ててしまっているような、そんな病院もいまだ存在する。

それらの多くが歴史ある病院で、建設されたころの時代背景を思えば、致し方ないのかもしれない。

時代の変化に伴い、精神科病棟のあり方も変わってきている。身体の病気となんら変わらぬひとつの「病気」であるという認識が広まってきているのも大きい。

住宅街にドンと大きな病院を建て、患者が街を自由に出歩き、小学校と合同で運動会を開いたり、バザーを開催するなどおおいに開けた病院が増えてきているのも事実だ。

いずれにせよ、症状が不安定な患者や、入院間もない患者は、一時的に「閉鎖病棟」で過ごすことがある。

閉鎖病棟では、映画と同じように施錠を徹底。作業療法や運動、集団レクリエーションなどが行われる。

映画では患者がパニックを起こすシーンが何度かあったが、ああいったことも起こり得る。まだ不安定であるからこその閉鎖病棟であり、病状が安定するにつれ解放された病棟へと移っていくのだ。

精神科病院での実習を経て、みなが口を揃えて言うことがある。

それは、患者が、人間が、いかにピュアな存在であるかを知った、ということ。

精神科病院に入院している患者は、本当にピュアな存在だ。だからこそ感じやすく、傷つきやすく、脆い。

そういったピュアな患者像が、映画ではきちんと描かれていたように思う。「怖い存在」「わからない相手」、そういった描かれ方でなくて良かった。

ときにはトラブルを起こしながらも、他人同士がみなが家族のように過ごす精神科病棟と、ときには刃となりうる「本当の家族」。

自分のホームは、いるべきところは、帰るべきところはどこにあるのか。居心地の良さでは生きていけない。「患者であること」に慣れてはいけない。けれど…。

そんなきびしい現実も含め、なかなかリアリティがあった。



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