剽窃


剽窃したい人はそこに居て、夏のセロリ をしっぽから齧っている。水は生温いが金魚鉢の赤い魚たちは夢を追わずきょうも元気だ。猫は背を丸めしっぽりと寝ている。
猫を抱きしめる主体は私だが、猫は私に抱きしめられたとは思っていない。
そのように、あなたは私の透けた静脈をみつめる。セロリをほとんど食べ尽くして。

剽窃したい人はそこに居て、その時間には詩人たちの居場所がない。装飾された言葉がない。ただひとつの椅子だけが用意され、永遠という名の木ねじははずされている。
水溶性の欲望があなたの唇を濡らすとき、あなたは小さな叫びのなかで、赤い魚たちを殺すだろう。欲望の主体を問いながら。

剽窃された言葉はそこに在り、眼は剥離岩のように簡単にだまされる。神は単なるひとつの方向であり、他者との距離を測るためのものに過ぎない。それはあなたを愛すること、あなたに愛されることに、どこか似ている。愛を海の深さで推し量ることは、すでに言い尽くされている。
  
剽窃された言葉はそこに在り、剽窃された人と共にある。
白い食卓の時間、猫語を話すことにどんな意味があるだろう。

紫陽花やどくだみが喩となりまた枯れていく、その色だけを残して。
『しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる』*
  

   *朔太郎「月に吠える」より「かなしい遠景」 


✳️詩集『死水晶』より。2016年『びーぐる』入選。
2016年は10年のブランクを経て詩作に復帰した年で、夢中になって詩作に没頭した。現在と違って毎日言葉が溢れ出た。詩を書き始めた17歳から66歳まで評が付く投稿をしたことがなく、ほぼ人生初の投稿を詩誌『びーぐる』に絞り、(それ以外では日本現代詩人会に投稿2回、入選と佳作。入選作は次回noteに)。亡き山田兼士さんに毎回採って戴いたが、詩集編纂期でもあったので、同詩誌に掲載された詩集内作品はこの1作のみ。


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