【天文学の歴史】
1万年~2万年前
フランスのラスコー洞窟壁画に、おうし座のプレアデス星団(すばる)の絵?
B.C.4000 日時計
エジプト人はこの頃,太陽の影を利用して日時計を作り、1日を12等分していたようである
B.C.3000
メソポタミア文明の発達(シリウスの観測と雨期の始まり・1年の長さの観測)
カルディア人が太陽の通り道(黄道)の星のならびに名を付け、星座(黄道12星座)が誕生
B.C.2800 暦
月が29日ないし30日のサイクルを繰り返し、1年は月の12ないし13回の繰り返しであることは以前からわかっていたが、それをはじめて体系化したのはチグリス・ユーフラテス川流域の人であった。彼らは19年の周期を考え,そのうちある決まった年は12ケ月、その他の年は13ケ月から成ると計算した。一方,エジプト人は周期的に起こるナイルの洪水の必要性から1年を365日とし、1ケ月を30日とし、残った5日を最後に付け加えた。これがB.C.2800ごろできたと考えられている。この暦は現在使用されている暦のもととなっている
B.C.2800
ストーンヘンジ(日食を予言するための古代天文台?イギリス)
B.C.2000
エジプトで太陽暦、メソポタミアで太陰暦が起こる
B.C.2000
中国でも独自の星座が誕生
紀元前6世紀
古代ギリシャ時代の自然哲学者たちの活躍
ターレス(万物の根元は水・日食の予言)
ピタゴラス(数学者・地球の形・自転・円軌道上の公転)
デモクリトス(原子論)
B.C.1800 数学と天文学
シュメール人とそれを引き継いだ古代バビロニア人は数学と天文学に重要な発展をもたらした最初の民族となった。B.C.1800までに60秒を1分、60分を1時間とする体系を作り上げた。この60という数字は2,3,4,5,6,10,12,15,30で割り切れる便利な数字なので、やっかいな分数を使わなくてもいいので使用されたのである。また円周が360度であることも体系化した。これは360が60同様割算のしやすい数字であることの他、太陽が365日で天空を一周することと関係があるかもしれない。他に5つの惑星と太陽と月を合わせた7という数字から1週間を作った。さらに、彼らは惑星と太陽と月が獣帯と呼ばれる12の星座を動いており、その惑星の動きを予想した。これは数理天文学の始まりである
B.C.4世紀
太陽黒点の発見
アリストテレスの天動説
アリスタルコスの地動説
B.C.200
エラトステネスが地球の大きさを測る(夏至の太陽の視差から、地球直径を45000kmとする)
アリストテレスの天動説
B.C.1100 航海と星
2000年以上前から舟は使われていたが、外洋に航海をはじめたのはこの頃、フェニキア人が最初であった。彼らは北斗七星と呼ばれる7つの星がいつでも北の空に見えることを利用し、方位を知ったのである。また、手こぎのオールを利用し、北アフリカやギリシャ西部に進出し、貿易を行った。
B.C.2世紀
プトレマイオスが天動説を完成
ヒッパルコスが明るさで恒星を1~6等に分類、月の距離、1年の長さを測定
B.C.585 天体の食
ギリシャのタレスはバビロニアの計算方法を習得して、日食を予報していたようである。これがB.C.585の5月28日に起きた日食でこれでタレスの名声は高まったと同時に、
日食・月食は恐れる天文現象ではないことを証明した。
B.C.500 金星の動き
ギリシャは初めのうちはバビロニアほど天文学が進んでいなかったので、宵の明星と明けの明星が同一の星、金星であることに気づかなかった。この頃、ピタゴラスがギリシャ人としては初めて気づき、ギリシャの愛と美の女神にちなんで、アフロディーテと名付けた
B.C.350 地球以外の宇宙の中心
ピタゴラスの弟子のフィロラオスはB.C.5世紀ごろ、観念的に地球は宇宙の中心ではないと唱えたが、水星と金星の運動からこの二つの惑星は太陽を中心に運動しながら、地球の周りを回っていると唱えた。これは地球以外に宇宙に中心があると唱えた初めての人となった
B.C.350 球形の地球
地球は平らではなく、球形であると最初に唱えたのはピタゴラスであるが、それを根拠をもとにまとめたのはこの頃、アリストテレスである。その根拠とは、星座が緯度により異なること、月食の時球形の影が見えること、水平線上の船はマストが先に見えることなどである
B.C.350 赤経,赤緯の概念
ギリシャの天文学者エウドクソスは星図を作成するにあたって初めて、北極星を中心とする赤経、赤緯の線を仮定した
B.C.280 月と太陽の大きさ
ギリシャのアリスタルコスは月食の時に月に映る影から月は地球の大きさの1/3であること、また半月が月と地球と太陽で直角三角形を作ることから太陽は月に比べ20倍遠くにあり、大きさは地球の大きさの7倍であることを発見した。アリスタルコスはさらに地球よりも太陽の方が大きいので,宇宙の中心は太陽であると考えた
B.C.240 地球の大きさ
ギリシャのエラトステネスはアレキサンドリアとエジプトのシェネの夏至の日の太陽高度の変化と両都市の距離から地球の円周の大きさは約40000キロと計算した。この値は今日の値と非常に近い
B.C.150 月までの距離
ギリシャのヒッパルコスは異なる地点で星に対して月の位置が微妙に異なることから、三角法を用いて、月までの距離を地球の直径の30倍と計算した。これは今日に値に非常に近い値である
B.C.134 星図の作成・歳差の発見
ギリシャのヒッパルコスはさそり座の中に観測記録に見られない星を発見した。そこで、後世の天文学者が新しい星を見つけたときのために星図を作成した。ヒッパルコスが記録した星の数は1000以上に及び、それ以前に作られた星図をはるかにしのぐ。ヒッパルコスは星図を作る途中で過去の記録に比べて星の位置がずれていることに気づいた。そして、それは26700年の周期であることがわかった。今日で言う歳差運動の発見であった。また、ヒッパルコスは一番明るい星を1等星、目で見えるぎりぎりの星は6等星という星の等級を定義した
B.C.46 うるう年の採用
ローマの政治家ユリウス・シーザーはローマで新しい暦を制定した。これがユリウス暦で、1年を365日とし、奇数月が31日、偶数月を30日(2月は29日)とし、4年に1度うるう年を設け,366日とした。これは1年の長さが365.25日だからである
2000年前から
ポリネシアの人々が、星の位置だけをたよりに大海原を航海
1054 中国でおうし座超新星出現の記録(日本でも藤原定家が記録「明月記」)
1249 眼鏡
イギリスのロジャー・ベーコンは1249年,視力を矯正するためにレンズを用いることに言及している.中国とヨーロッパでほぼ同じ頃,眼鏡が発明された.最初の眼鏡は年配者用の凸レンズを使った老眼鏡で,近視用の眼鏡はずっと後のことになる.
1252 惑星表
惑星の運行を表す星表はプトレマイオスが作成したものが使用されていたが,カスティリヤ(スペイン)の国王アルフォンソ10世の奨励のもと,作成された.
1335 機械時計
この年,イタリヤのミラノに機械時計が作られ,1時間ごとに時を打った.市民は鐘のなる回数で時を知った.なお,時計を表すCLOCKという言葉はフランス語で「鐘」を意味することに由来している.
1451 近視用眼鏡
ドイツのニコラス・クサヌスは凹レンズを使って近視用の眼鏡として使える ことを発明した.
1472 彗星の位置
当時のヨーロッパでは彗星は恐怖の対象として見られていたが,ドイツの天文学者ヨハン・ミュラーは彗星の毎晩の位置を記録し,科学的な対象として捉えられるようになった.
1492 磁気偏角
コロンブスは航海の途中で磁針の指す方角がわずかに変化することに気づいた.スペインを出発するときは真北から少し東よりであったが,船が西に進むにつれて針も西に振れ始め,ある地点で完全に真北の方向を指し,さらに西へ行くと北から少し西よりに傾いた.なお,この様子はパニックを招くかもしれなかったので,コロンブスは乗組員には知らせなかった.
16世紀 コペルニクスの地動説
ブルーノの宇宙原理(夜空の無数の星は太陽と同じ星)
チコ・ブラーエの肉眼での惑星の観測。チコの彗星・超新星の観測
1504 携帯時計
機械時計は重力によって下に引っ張られるおもりの力で動くので,時計は小型化できなかった.ところが,1470年頃にぜんまいが発明されると,ドイツの職人ヘンラインはそれを利用してポケットに入れて携帯できる小型の時計を作った.
1522 マゼランの世界一周
1519年9月20日,マゼランは5隻の船で世界一周に出かけた.南アメリカにたどりつき,11月28日にマゼラン海峡を通過し,太平洋に出た.しかし,太平洋はマゼランの予想以上に広く,99日間,海を航行する内に乗組員は飢えと渇きに苦しみ続け,やっとの思いでグアム島にたどりついた.1521年4月17日,マゼランはフィリピンで殺されてしまう.その後,たった1隻と18名の乗組員で1522年9月7日スペインに帰りついた.こうして多くの犠牲者の上で世界一周の航海が成し遂げられた.
1538 彗星の尾
イタリアの天文学者フラカストロは彗星の尾は常に太陽と反対方向に向いていることを発表した.ドイツの天文学者ベネヴィッツも1540年に同じ結果を独立に発表している.
1543 太陽中心説
ポーランドの天文学者コペルニクスは太陽を中心に惑星が回転しているという考えに立つならば,惑星の運動の複雑さが軽減されるという考えのもとで,太陽中心説を発表した.しかし,これは当時のキリスト教会の考えと合わないので,公表をためらい,結局,死去の寸前に出版された.これは大きな反響を呼び,コペルニクスの著書「天体の回転について」は禁書となった.
1551 三角関数表
ドイツの数学者ラウヒェンは惑星の運動を計算する際に必要となる三角関数表を作成した.このような表はギリシャ時代から作られてはいたが,ラウヒェンはそれまでにない最も正確なものを作成,さらに,角度に対する表とした(それまでは円弧に対して).この表は太陽中心説と結び付いて,天文学の計算に飛躍的な発展をもたらした.
1572 超新星の発見
1572年11月、カシオペヤ座に新星が現れ、デンマークのティコ・ブラーエは485日にわたり観測した.そして,視差を観測したが,小さすぎて確認できなかったので,新星は月よりも遠くにあることがわかった.ギリシャ以来,天上界は完全で不変であるという考えはこの時から完全に崩れさった.
1577 彗星までの距離
デンマークのティコ・ブラーエは1577年に現れた明るい彗星の観測でも視差を発見できなかったので,月よりも遠い天体であることを発見した.
1582 グレゴリオ暦
ユリウス・シーザーが制定したユリウス暦lは1年を365.25日としていたが,実際は365.2422日に近かったため,長い歴史の中で10日ほどずれが生じていた.そこで,ローマ法皇グレゴリウス13世は1582年10月4日の翌日を10月15日とし,数字の末尾が00年で終わっても400年で割り切れない年はうるう年としないこととする新暦=グレゴリオ暦に移行した.こうすると400年に97回うるう年になることになり,地球の運動とよく合うことになった.
1590 顕微鏡
オランダの眼鏡職人ヤンセンは凸レンズを2枚組み合わせて,最初の顕微鏡を発明した.
1596 ファブリチウスがミラで変光星を発見
1606 ケプラー、惑星の運動の法則(楕円軌道・運動面積一定・平均距離と公転周期の関係)
1608 オランダで望遠鏡の発明
オランダの眼鏡職人リッペルハイのもとで働いていた若い見習い職人はレンズを2枚組み合わせているうちに,遠くの物が近くにみえることを発見,リッペルハイは筒を取り付け最初の望遠鏡を発明した.オランダはこの発見を秘密にしようとしたが,その噂はあっという間に広がり,各地で望遠鏡が作られた
1609-1610 天体の発見
イタリアの科学者ガリレイは望遠鏡が発明されたことを聞き、自ら作り、それを天体に向けた。そこで、天の川はほのかに輝く無数の星の集まりであること、月には海やクレーターがあること、木星には縞模様と小さな4つの衛星があること、金星はみちかけすること、土星の環とその消滅や太陽には黒点があることがわかった
1609 惑星の楕円軌道
ドイツの天文学者ケプラーはティコ・ブラーエの詳細な観測結果から、惑星は円軌道ではなく、楕円軌道を描いていること、そして太陽に近づくと速くなり、遠ざかると遅くなることを「新しい天文学」で発表した
1612 アンドロメダ星雲
ドイツの天文学者マリウスはアンドロメダ座の中にぼんやりとした斑点があることを発見した.小さな雲のように見えたので,アンドロメダ星雲と呼ばれた.この発見は当時は重要視されなかったが,3世紀後,宇宙について認識する上で重要な天体となった
1632 ガリレオ、「二大世界説についての対話」と異端糾問、地動説を大成
1641 十字線の発見
イギリスの天文学者ガスコインは星の像を結ぶ焦点の位置に細い十字線を置き,2つの星の角度を測定した.これにより,望遠鏡は精密な位置測定の道具として利用されることになった.
1650 二重星の発見
イタリアの天文学者リッチョーリは望遠鏡でおおぐま座のミザールを観測したところ,肉眼では識別できないくらいくっついている二つの星であることに気づいた.これが最初の二重星の発見となった.
1651 月面のクレーターの名前
イタリアの天文学者リッチョーリは月のクレーターに天文学に貢献した人の名前をつけた.一番はっきりしたクレーターには彼が尊敬したティコの名前をつけた.
1656 土星の環
ガリレオは1611年に望遠鏡で土星を観測したが,突起物があるとしか確認できなかった.この年,オランダの天文学者ホイヘンスは環と確認した.また,同時に土星の衛星も発見した.
1656 振子時計
ガリレオが振子の等時性を発見していたが,ホイヘンスはそれをさらに発展させ,振子とおもりを連動させ,おもりの落下によって振子の運動を調整する,完全な等時性が得られるような工夫をした.そして,ホイヘンスは振子時計を発明し,科学実験に利用できるほどの初めての正確な時計となった.
1659 火星表面の模様
ホイヘンスはこの年,火星に暗い三角形の模様があることを発見した.今の大シルチスである.
1664 木星の大赤斑
イギリスのフックは木星の表面に後に大赤斑と呼ばれるようになった大きな長円形の模様があることに気づいた.
1665 惑星の自転
フランスの天文学者カッシニは惑星の模様から火星の自転周期は24時間40分,木星は9時間56分と決定した.これは地球と他の惑星が似ているということをしらしめる結果となった.
1666 イギリスの科学者ニュートン、万有引力の法則を考案(1687・「プリンキピア」出版)
光をプリズムに当てると色が分かれることを発見した.これにより,白い光は色々な光が混じり合ったものであることがわかった
(光のスペクトル)
1668 反射望遠鏡
イギリスの科学者ニュートンはレンズ式望遠鏡では色収差を除けないと考え,対物レンズの代わりに凹面鏡を利用した反射式望遠鏡を発明した.以後,望遠鏡は大きくこの2つのタイプに分かれることになる
1670 ピカールによる地球緯度の測定.
1672 太陽系の大きさ
フランスの天文学者カッシニはフランスと南米で恒星に対する火星の位置を観測し,火星までの距離を求めた.そして,ケプラーの法則から,地球と太陽の距離を1億4000万キロと計算した.これは現在の値よりも7%ちいさいだけであった.これから,土星までの距離がわかり,太陽系の大きさの概要がわかった.
1675 光の速度
デンマークの天文学者レーマーは木星の衛星の食の予報と実際の観測結果が合わないことから,光の速度が有限で,秒速22万キロメートルという値を出した.これは現在の値の4分の3にあたる.
1675 土星の環の空隙
フランスの天文学者カッシニは土星の環を観測中に暗い線によって環が分かれていることを発見した.これは今日カッシニの空隙と呼ばれている.
1682 ニュートン力学に基づき、ハレーが彗星発見(ハレー彗星)
1687 ニュートンの法則
イギリスの物理学者ニュートンは「プリンキピア」を発表し,その中で運動の法則を発表した.第1法則は慣性の法則,第2法則は力は質量と加速度の積で表されること,第3法則は作用反作用の法則である.さらに,ニュートンは万有引力の法則を発見した.この万有引力の法則からケプラーの法則を導くことができる.このようにニュートンは宇宙を説明できる体系化した法則を発見したのである.
1705 ハレーと彗星
ニュートンの万有引力の法則から彗星も太陽系内の天体として,惑星と同様に運動を説明しようという動きがあり,イギリスの天文学者ハレーは多くの彗星を検討し,1682年に現れた彗星は75-6年の周期をもち,繰り返し地球に近づいていると指摘し,1758年頃再びあらわれるであろうと予想した.これが今日いうハレー彗星である.
1716 太陽の大きさと距離
イギリスの天文学者ハレーが太陽視差の測定に基づいて太陽の大きさと距離を計算した.
1718 星の固有運動
イギリスの天文学者ハレーはシリウス,プロキオン,アークトゥルスがギリシャ,ティコの時代に比べて位置が変化していることにきづいた.星は遠い距離にはあるが,わずかに動いていると結論した.星の固有運動の発見である.
1728 光行差の発見
ブラッドリーは光行差を発見し,光行差による光速度を測定した.これは,はじめての地球の公転の直接的証拠の発見でもある.
1752 マイアー「太陽および月の運動の新表」(太陰表)
1757 ドロンドが色消しレンズを発明
これにより屈折望遠鏡の性能が飛躍的にあがることになる.
1761 ド・ラランドが観測に基づいて太陽視差を計算
太陽の直径は地球の約113倍とする
1764 ラグランジュ「月の秤動に関する研究」
1773 ラプラスが惑星の平均運動が不変であることを証明.
1781 ハーシェルが天王星発見(ニュートン力学にもとづく)
ハーシェル、銀河系の構造(銀河円盤)を発見
1784 ハーシェル「天界の構造について」
1785~1802 ハーシェルが約2500の星雲を記録・写生
1794 クラドニが隕石は宇宙起源であることを主張.
1799~1825 ラプラス「天体力学」
1800 ハーシェルが太陽スペクトルの種々の部分で温度上昇を測定,
また赤外部に熱線(赤外線)を発見.
18世紀 チチウスとボーデ、惑星と太陽の距離の関係の研究
18~19世紀 岩出山旧有備館ゆかりの天文学者・名取春仲が活躍
19世紀 アダムスとルベリエ、天王星の運動のゆらぎを発見
1801 ピアッチがはじめての第一番小惑星ケレスを発見
発見されたのは1月1日で、新世紀最初の大発見とされた
1802 ウラストンが太陽スペクトルに無数の黒い線を発見(太陽の分光観測)
1807 ガウス「円錐曲線を描いて太陽の周囲をめぐる天体の運動の理論」
1819 エンケによるエンケ彗星の楕円軌道の証明と,周期が短くなることの発見.
1822~1824 エンケが平均太陽視差を計算(太陽と地球との距離を算出)
1832 エンケが二重星の軌道を計算.
1837~1838 ベッセルが恒星の年周視差を測定
はくちょう座61番星は地球から12兆マイルの距離と計算
1840頃 天体写真の始まり
1845~1846 ルベリエ・ガレが海王星を発見(ニュートン力学にもとづく)
ルベリエは天王星におよぼされている未知の惑星の効果を考慮した力学計算から,未知惑星の位置を推定し,その位置を捜索したガレが数10分間で新惑星=海王星を発見した.これは天体力学の勝利といわれた
1848 マイアー「天体力学への寄与」
1862 キルヒホッフが太陽スペクトルを分析し,太陽大気中に種々の元素分布を証明.
1868 ハッキンズがシリウスは毎秒6マイル地球から遠ざかっていることを証明.
1870 セッキによる星のスペクトルの四型
1874 ジャンサンが金星の日面通過の連続写真を撮影.
1875 アウバースが基準恒星表を追加.
1878 スキヤパレリが火星の運河を発見.
1883~1903 ツィオルコフスキーのロケット理論
1885 ピッカリングが北天の6等級までの星の光度表を発表.
1889 フォーゲルとシャイナーが連星アルゴルの視線速度を測定.
1891 ボルフが小惑星の写真発見法を発見.
1897 シャイナー「星の写真」
1899 ヘッケル「宇宙の謎」
1901~1924 ヘンリー・ドレイパーカタログ出版
キャノン,ピッカリングらによる,初の恒星の大規模なスペクトル分類カタログ.
1904 ウィルソン山天文台開設
ウィルソン山天文台は天体物理観測を徹底的に指向した初めての天文台.不便ながら天体観測のための条件がよい山の上に天文台を開設.はじめ1.5m,後に2.5m反射望遠鏡が設置され,銀河の研究などで多大な成果をあげる.
1905 アインシュタイン「特殊相対性理論」
1914~1916 アインシュタイン「一般相対性理論」
1924 ハッブルがアンドロメダ銀河のセファイド型変光星を観測から距離測定
その後、宇宙の膨張の証拠を得る
1926 ゴダードが人類初の液体燃料ロケットを打ち上げ
1927 世界初のプラネタリウム誕生(ドイツ)
1929 ハッブルが宇宙膨張とハッブルの法則を発見
1930 冥王星の発見(トンボー)
1930 88の星座とその区割りが決定
1931 天体の電波観測の始まり
1937 日本初のプラネタリウム(大阪市立電気科学館)
1946 パロマ山天文台に5m反射望遠鏡が完成
1949 地球に接近する小惑星・イカルスの発見
1951 初の大型電波望遠鏡
マンチェスター大学のラヴェルらは,ジョドレルバンク天文台にずば抜けて大きな76m電波望遠鏡を設置した.
1957 人工衛星
ソビエト連邦は,10月4日に,世界最初の人工衛星スプートニクを地球周回軌道にのせることに成功.世界初の人工衛星を持つ国となった.アメリカはこれに大きなショックをあげ,ただちに1958年にエクスプローラ号を打ち上げて続いた
1959 旧ソ連のルナ3号が史上はじめて月裏側の写真撮影に成功
1960年代 地球外知的生命の探査開始(オズマ計画)
1960~ 人工衛星による惑星探査計画が始まる
1961 有人人工衛星
ソビエト連邦のユーリ・ガガーリン少佐は,4月21日,宇宙船ボストーク1号で89分で地球を一周し生還.世界ではじめて宇宙に出た人類となった.彼は,生還後のインタビューで「地球は青かった」と語った
1962 金星探査機マリナー2号」(米)
1964 宇宙背景放射
アメリカの物理学者のペンジアスと電波工学者のウィルソンは,エコー衛星をモニターするための大型電波アンテナを使って,電波雑音の試験をしているさい,天空のあらゆる方向からの放射を検出した.これは1948年にガモフによって予言されていた宇宙背景放射そのものであることを発見する.これは,ビッグバン宇宙論の直接的証拠の発見でもあった.
1969 人類,月へ
アメリカの宇宙飛行士,アームストロングとオルドリンは,アポロ11号で月まで飛行し,LEMイーグル号で,1969年7月20日のアメリカ東部時間4時18分に月に着陸した.地球以外の天体に足をおろすはじめての人類となる.この状況は世界中にテレビ放送され世界中が注目した.なお,アームストロングの月面からの第一声は,「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが,人類にとっては大きな跳躍である」であった.
1960~70年代 日本人による彗星発見ラッシュ
戦中からの本田実さんの活躍
池谷-関彗星(1965年)の出現
1970 ベネラ7号、金星へ軟着陸
1971 旧ソ連世界初の宇宙ステーション、サリュートを打ち上げ
1971 ブラックホールの検出
アメリカのX線天文衛星ウフルは,はくちょう座X-1というX線源に不規則な変光を発見.そのパターンからブラックホール候補とされた.その直後の,国立天文台岡山天体物理観測所をふくむ地上からの支援観測によって,はくちょう座X-1を太陽の30倍の質量をもつ青色の恒星と同定.カナダの天文学者ボルトは,この星と近接してまわる太陽の5~8倍の質量の見えない天体がX線源であることを確かめる.質量と光学的に検出できないことから,多くの天文学者は,はくちょう座X-1がブラックホールであると考えている.その後同様なブラックホール候補天体は多数発見されている.
1973 パロマー山天文台惑星軌道と交差する小惑星(Planet-Crossing Asteroid Survey:PCAS)スタート
1975 火星探査機バイキング1・2号」
1977 ボイジャー1号・2号による木星、土星、天王星、海王星探査
70年代末~ 日本人による小惑星発見
1970~ 宇宙ステーション計画
1980 小惑星衝突による恐竜絶滅説登場
1980 探査機による土星探査
1981 海王星の環の発見
1982 CCDによるハレー彗星検出(CCDは1980年頃から)
1984~ 国際協力探査計画が始まる
1984~85 旧ソ連、欧州宇宙機関、日本による5機のハレー彗星探査機
1987 宇宙ステーションは「ミール」と打ち上げ95年完成
1987 大マゼラン星雲で超新星出現
2月に大マゼラン銀河に出現した超新星1987Aは,我々の銀河に最も近い銀河に出現した超新星で,1603年の超新星以来の肉眼で見られるものであり,多くの研究がなされた.その中で超新星起源のニュートリノの検出に日本のカミオカンデなどが成功
1990 ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げ
1990年代 日本各地に公共天文台・プラネタリウム館新設ラッシュ
地球近傍小天体(NEO)や小惑星地球衝突への関心が高まる
各地で光害が深刻化。美しい星空を守る運動が発足
1994 シューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突
1995~ 国際宇宙ステーション計画始まる
1995 スペースシャトルとミールのランデブー実験
1996 火星からの隕石に生命の痕跡(後に否定的見解が主に)
1997 国際宇宙ステーション建設開始
1996〜97 百武彗星(96)、ヘール・
ボップ彗星(97)の大彗星が相次いで出現
1998~ しし座流星群
1999 すばる望遠鏡完成、大望遠鏡の時代が本格的にスタート
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