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正念場を迎えている連続投稿。しかし、動き続けることで見える景色もある

事業承継チャレンジが終了したワタシ。今は新しい道を歩み始めた。

今、正念場を迎えていると思う。

それはワタシのnote連続投稿記録。


先日、その数は150を超えた。こんなに続くとは思ってもいなかった。そして、別に何かを目指しているわけでもない。

ただ、書き続けたいなーという思い(意地)。


noteを描き始めた当初は事業承継チャレンジで苦しくて苦しくて、どうにかしたい思いで始めた。何か変化したいという思いで書いた。


その過程でnoteを通じて知り合えた方もいる。その方とは連絡も取り合うことができていて、今も切磋琢磨させてもらっている。ありがたい。

アウトプットの機会があって、頭をクリアにできる。勉強もできる。知識を整理できる。


良いことだらけのnote。



事業承継に失敗して、その後に無職が確定していたが、縁があって現在はお仕事させてもらっている。

それなのに、詳細を書こうと思えない状況(別に悪い仕事とかではなく、むしろ良い仕事)になっているワタシがいる。


きっと心のどこかに
「起業、起業、独立って言っていたのに、できてねーじゃん」っていう状態を嫌っているような感じ。結局、毎度の「人の目を気にしている」ってやつ。

「結局、上手くいってねーじゃん」を晒したくない自分がいる。


悪くない状況なのに、望んだものと少し違うからって何かモヤモヤしている。

別にいいじゃんって思ってはいる。

しかし、ワタシは人の目を気にする種族。そう簡単に「別にいいじゃん」になれないのも事実。


そうやって、一つストッパーみたいのがあるとnoteを書くのに制限ができてしまう。

「あ、これ書けないな」
「これ書いたらまずいよな」
「これは前の記事と整合性、取れないんじゃないか?」


とかとか。
#整合性ってなんだよ
#都度都度 、考え方が変わっていいじゃん


これ、一種のバロメーターになるかも知れない。

書けないってことは心に何かモヤがかかっているってこと。悩んでるいるっていうか、カッコつけている。人の目を必要以上に気にしている。

悩んでいるだけなら、書けた。それは2022年2月から2022年5月までの失敗の歴史を綴れたことでわかる。

あの当時はいろいろ浮かんでササっと書けた。早かった。


今の仕事のことを書いたらいい。なのに、書けないでいる。それはカッコつけているから。人の目を必要以上に気にしているから。


今、正念場。

書くネタの幅を自分で勝手に狭めていて、note継続のハードルを上げている。

高めのハードル


ここでnote継続を止めるも続けるも自由。

でも、止めたあとに感じることは「続けておけば良かった」ってのもわかるので、書き続ける。捻り出し続ける。

ここ最近はワタシ自身も感じている。「noteネタ、つまんね」って。でも、これを書き続けていくことで何か変化するのも知っている。

止めたらきっと何も起きない。クソつまんないネタでも書き続ける。それは自分のために。きっと、何かが起こるであろう自分の今後のために。


さ、このモヤモヤの先には何があるのか。それも楽しみにしていこう。

#新しいチャレンジ
#どうせ上手くいく
#これでいい
#これがいい
#毎日投稿
#毎日note
#毎日更新


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