やまもとしん

俳優になって20年以上。無名ですが作品創作に命を削って来ました。役者事務所と劇団を運営…

やまもとしん

俳優になって20年以上。無名ですが作品創作に命を削って来ました。役者事務所と劇団を運営。生い立ちからラーメンやスポーツ、子育てから表現の事まで感じてきた事を言葉にして行きます。特にお芝居の事、自身の世界観を伝えられる記事になったら良いなと思ってます。読書と共に成長したいです。

最近の記事

熱海の復興を応援します。

熱海伊豆山土砂災害が起きたのが7/3。あれから2ヶ月とちょっとが過ぎた。 熱海が斜陽な頃、よく1人で温泉入って2泊していた。自分の誕生日も毎年1人で行き、自分と同じ誕生日の亡き母を思い返す日にしていた僕にとっては特別な場所だ。 アメブロで繋がってから友人になり、親友にまでなった方との出会いがあってから急速に熱海との距離が縮まり、沢山の友達を連れて行き、なんと新婚旅行も熱海に行く程、熱海が大好きになりました。 本当は新婚旅行は海外を考えてましたがお腹の中に長男が宿っていた

    • 新年度

      随分とご無沙汰してしまった。 noteを開く事すらしてなかったが、子供達はすくすくと育ち、小学生と保育園児になった。 嫌いだったこの町が今は愛着が湧き好きになって、その場所で妻と子供達との生活がしばらくは続く事を思春期の僕は想像すらしなかっただろう。 子供達もいずれ、生まれ故郷を離れて自分の道を行く。親が考えたり、与えたりする事で、本人が考える事をやめてしまわないように、小さい頃から自分で考えるように言っている。 僕も自分で考える事が出来なかった人の1人だった気がする

      • 今度はどこで泣こうか…

        幸せの町を後にした僕は、ほっぺが赤い坊主頭がいるとんでもない田舎に越して来た。 稲田堤と言う場所は当時(33年前)は田んぼや畑がわんさかあり、夜暗くなるとバリ島の様にカエルがゲコゲコ合唱するド田舎でした。 人の噂話は矢のごとし速さで広がり、何処にいても監視されてる様な心落ち着かない場所で大嫌いでした。 思春期真っ盛り、少年から大人になる段階を三段跳び位で性にも興味が湧き、悶々とした中学3年間を過ごしていた。 大人になっても思うけど、その辺りの遺伝って言うのはどうなんだ

        • 所属募集

          久しぶりに投稿した記事が唐突に内容変わりますが、 役者事務所in.harmonyが所属者を募集してます。 日々、稽古しながら舞台、映像、CMに出演しながら役者として人として成長して行く事務所です。 将来を真剣に見据えて、厳しい稽古で力を付けて行きます。 ※レッスンは優秀者のみ有料(週1回、1回¥1000)にて行います。 本気で人の人生を変えるぐらいの役者を目指してる方との出会いをお待ちしてます。 尚、ご応募の際は必ずホームページにて弊社の業務内容をご確認下さい。

        熱海の復興を応援します。

          背中で泣いてたよ…

          秋田県は男鹿のゴジラ岩から始まりますが、特に意味はありません。 さて、「幸せとは?」では僕の生まれ故郷の千葉県千葉市美浜区幸町から始まりました。ここの地でのストーリーをしばらく続けたいと思います。 母親は僕が16歳の時に亡くなったので、昔の話を聞ける人がいません。父親は健在ですが、男親と言うのは子育ての事を覚えている人は少ないと思います。少なくともそんなバブル期を経験している男親なんて今みたいに子育てに参加してる人は少ないので、それはしょうがないでしょう。 今、僕は2人

          背中で泣いてたよ…

          役者への道①入門編

          今、この瞬間も「俳優になりたい」、「女優になりたい」と言う想いを胸に、誰にも相談出来なかったり、どうすれば良いのか、何処に属すれば、何処で学べば良いか分からない人は沢山いるかもしれません。 かく言う自分もそうでした。およそ20年以上前。 僕は自分が入りたいと思う事務所を作り、作品創作をして行きたいと思い、今経営しているin.harmonyと言う事務所を生みました。 7年前を最後にお休みしていた劇団PastTimeWithGooDCompanyと言う劇団を事務所直属の舞台

          ¥100

          役者への道①入門編

          ¥100

          幸せとは?

          全人類の根底に「幸せ」と言う分かりやすい単語な割に、掴み所のない言葉があるのではないでしょうか? 人それぞれ違うし、それどころではなく今日を生きる事、生き抜く事だけしか考えられない環境の方もいるでしょう。 僕はこの日本と言うお金を払わなくても安全がある程度確保されている裕福な国にたまたま生まれ落ちただけで、「幸せ」と考えて良いだろう。 千葉市(美浜区)幸町と言うなんとも「幸せ」感ある小さな埋め立て地で小学校まで過ごした。 両親は秀才で育ったが、母親は3歳の時に小児麻痺

          はじまり

          特に書く事を学んだ訳ではないのですが、役者生活20年を越えて舞台の脚本を書く様になりました。 公演待機の脚本が2本。コロナウィルスの影響下にあり、予定通り来年上演出来るかは分かりません。 経営している役者事務所は4月から仕事がほとんどなくなり、5月は売り上げが「0」に。今、自分が出来る事は家の掃除と断捨離、そして文章を書く事。 と言う事で、noteを始める事にしました。 千葉県千葉市幸町(現在は美浜区幸町)で生まれ幸せに育ち、中学から祖父のもとの神奈川県川崎市多摩区で