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新年度

随分とご無沙汰してしまった。

noteを開く事すらしてなかったが、子供達はすくすくと育ち、小学生と保育園児になった。

嫌いだったこの町が今は愛着が湧き好きになって、その場所で妻と子供達との生活がしばらくは続く事を思春期の僕は想像すらしなかっただろう。

子供達もいずれ、生まれ故郷を離れて自分の道を行く。親が考えたり、与えたりする事で、本人が考える事をやめてしまわないように、小さい頃から自分で考えるように言っている。

僕も自分で考える事が出来なかった人の1人だった気がする。

高校1年の2月に母親が亡くなる10ヶ月前から、僕はじいちゃんと叔母と暮らし、父親と母親は母親の故郷の千葉で治療に専念。

高校新入生から始まる半分1人の生活は親の監視から逃れられ、自由を謳歌するようになる反面、自分で考える能力が育ってないまま、放し飼いされた気分だった。

今思えば、ここが家族の崩壊のタイミングでした。

それは音もなく崩れて行っていて聞き取る事は出来ませんでした。

家族は一緒にいるべきです。どんなに衝突があっても共に悩み考えて、出る訳でもないであろう答えを探すのだと思います。

自分で考えれる事が出来たら、家を出て自分の責任で生きて行けば良いと思います。夢だとか妄想する事ではない、自分の目標を定め、前向きに人生を楽しんで行く。そんな風に自分で考えられたら最高ですよね。

時代が沢山の試練を与えてますが、ここを乗り越えて行きたいですね。

この時代に生まれた事が不幸せだと思わないように、すくすく育ってくれたら良いな。我々は見守るしか出来ないけど。


まだまだ分かってない新参者ですが、1つの大切な表現としてコツコツ積み上げて参ります。