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教育者はOO欲求の塊り

はじめに

つい先日、教員採用試験に向けての論文を指導教員に見てもらった時の話。
「論理的で納得できる文章。ただ、教育への熱意が伝わりづらい…」

という、言葉をいただきました。

自分自身の中の教育への気持ちは幾つかの場面で言語化してきました。
ただ、一つ大きな疑問点がありました。

「教員としての自己実現ってなに?」

ここの疑問点が残っています。
それについて、考えたことを書いていきたいと思います。

拙い文章ですが、よかったら最後まで読んでみてください(^^)


①今までの成長・自己実現

これまでの大学生活は自分の成長や自己実現のために生活してきました。

日々のトレーニング、独学による学び、野球の勉強や工夫など

目に見える成長と自己実現を目指してきました。

もっと端的に言えば、

「数字による指標」

が明確な物事に取り組み努力をしてきたと言えます。

指標が明確だからこそ、努力しやすいし、成長を感じやすいものが多い。

自己実現を達成するためには、
数字による絶対評価はとても強力なモチベーションに繋がる。

「数字による指標」
僕は成長や自己実現の指標にしてきた。


②教育は、数値ではなく人格

教育では、学力をテストで数値化して表している。
この数字は自分の進路に大きな影響を与え、重要な基準の一つです。

ただ、この数値upや高い数値だから良い!
という考えに縛られてしまうと、
子どもの主体性を奪ってしまう可能性が高い。

中学校や高校は3年という短期間。
そんな短い期間だと、
懲罰による強制的に勉強をやらせる方が数値は上がったりする。

そのような学び方を続けると
「子どもは自分の人生を見失う」

誰かの描く人生をなぞった生き方は、
どんなに学力が高くエリートと呼ばれる人も
なぜか苦しみを抱えている。

教育は数字よりも
人格の成長をサポートすることが大切だ。

(仕事とは別です。目的が違うので)


③教育者の自己実現

自己実現=自分自身の成長、目標達成など

自己実現は成長欲求と呼ばれ、
無限に湧き出る最強の欲求です。

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ただ、、
教育って教員自身の成長よりも、
生徒たちの成長がメインでになっていて

教員自身の自己実現は分かりづらい。

教育は大人が生徒に与える
時間も注意力も知識も価値観も何もかもを与える

そんな傾向が強い。

 
にいうと、
他人に与えることの出来るものは、幅広い。

時間、労力、教科の知識、教科の以外の知識、対人能力、人としての在り方などなど…

時間労力は人間なので、
与えられる限度がある。
だから、これしか与えられない教員は潰れる。

ここではなく、
知識価値観などを与えられる教員であることが大切になる。

すなわち、
知識が幅広く沢山の量が必要で、経験もそれと同様になる。

これらは、教育者てして必須だ。

=教育者は常に成長が必要であり、できないと潰れる。

(もしくは生徒を潰す)

教育者は成長欲求の塊なのかもしれない。

 

まとめ

自分は自分の人生を生きたい!
けど、
教育は与える仕事…


ここの悩みが僕の中で湧き上がっていました。

教育に全力で取り組むことは、
自分の成長と直結する。


自己実現欲求の塊り(=教育者)になれるように、
教員採用試験の勉強頑張ります!!



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#やるかやるか
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