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日本一元気な被災者を紹介します

|30歳も年上のお友だち

「遅いんじゃー!!はよ泥かけーーー!!」
出会いの第一声は、こんな言葉だった。

タジさんとマチダさん。
父の歳ほどあるオッチャン2人組。
素敵というキラキラワードは似合わないが、
私にとっては道しるべになる人たちだ。

タジさんは、とにかく口がよく動く。
人に対してあれしろこれしろ、と
ニコニコしながら指示を出してくる。

マチダさんは、とにかく手がよく動く。
スマホで撮った写真は毎回SNSにアップ。
出会った女子大生とのLINE交換は怠らない。

こんなオッチャンたちだけど、
自称『日本一元気な被災者』であり、
毎年BBQをやる私の大切な友だちでもある。

|助け合いができる地域

2012年7月15日。まだ私が大学生だった頃、
深夜の京都に90mmの猛烈な雨が降った。
砂防ダムが決壊、濁流が民家に押し寄せた。

翌日、私は友人と共にボランティアとして
タジさんとマチダさんは被災者として、
土の臭いが漂う被災地に立っていた。

家や車が破壊されているのに、
なぜか被災者の方々は笑ってた。
「俺たちは日本一元気な被災者やから!」
ここは皆で助け合いができる地域だった。

ボランティアとしてきた私に対して、
「遅いんじゃー!はよ泥かけーーー!」
と、笑いながら歩いて来るタジさん。
急いでスコップを握った。

あまりにも暑くて友人と休憩していると、
「口動かすなら、手動かせーーー!!笑」
と、皆暑い中で必死に作業しているのに、
口だけ動かすタジさんの声が響く。
皆が笑う。

昼休み。ヘトヘトになった私に、タジさんが
「お疲れちゃん!弁当食べよか!」と。
向かい合うタジさんマチダさん家の屋根に
大きな大きなブルーシートを張って、
道路の真ん中に大きな影を作ってくれた。
確か、缶コーヒーも差し入れでもらった。
そして、帰る時に「ありがとうな。」と。

一言目は、あんな言葉だったのに…。
あれだけ大声を飛ばしていたのに…。
ツンデレかよ、と思いながらも、
心の底から込み上げるものがあった。

TVにも映らなかったこの被災地は、
2人を軸に復旧していたのかもしれない。
きっと地元のリーダー的な存在だったのだ。


|ボランティアの先に見た景色

ボランテイア活動を終えた後、
「次は、BBQしよや」とマチダさん。

その約束を守るように、あの日から3ヶ月後、
ボランティア仲間と約束の場所に向かった。
被災した方々が肉と酒を用意していた。

「カンパーーーイ!!」
「あの時の学生たちか!!」

「おおきになー!!」

そこには、被災者もボランティアもなく、
学生、オッチャン、オバチャン、という
人と人との関係性だけがあった。

タジさんマチダさんと猛烈に仲良くなった。
これを機に、毎年BBQをすることになる。

地域の祭りで神輿を担いだこともあった。
2人が学園祭に来てくれたこともあった。
真剣に話をすることもあったし、
真剣に怒られたこともあった。

出会いのキッカケは災害だったけど。
歳だって30以上も離れてはいるけど。
確かに僕らは友だちになった。

ボランティアには、先があった。

|孫世代まで繋がるバトン

先月行なった第12回目のBBQは、
なんと初めての東京開催だった。
2人がわざわざ、新幹線で東京に来た。
BBQのために東京に来るなんて、
と思うけど、もうそんな仲になっていた。

今回は、タジさんのお孫さん(小学生)と
マチダさんの娘さん(大学生)も参加。
2人は仲が良く、本当の姉妹みたいだった。

娘さんと話をして、驚いたことがあった。
「この子は妹って感じではないけど…。
ただ、私も昔からタジのおじさんとかに
こうやって育ててもらってたから、
次はウチがこの子を育てる番かなって。」

タジさん、マチダさんが住む地域は、
災害が起きた時、助け合っていた。
『結の精神』とでも言うべきものがあった。
その関係性が、孫の代まで繋がっていた。

タジさんとマチダさんにとっては普通の姿。
でも、私にとってはその関係性が、
眩しくもあり、目指したい姿だと思えた。

|こうして生きてゆく

地元リーダーのあり方を教えてくれた。
人と人の関係があることを教えてくれた。
助け合いの精神を教えてくれた。

素敵って言葉は似合わないけど、
私にとっては道しるべになる人たち。

これからも、こうして生きていきたい。
そんな事を、いつも気づかされる。

次のBBQは、秋頃か。
また言われるんだろうなー。
「新原ぁーーー!はよ火起こせーーーー!」

おしまい

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