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育休ライフ 30週目

いつも閲覧ありがとうございます。
半径5mの人を幸せにしたい、シムラトモタカと申します。
8年間中学校教員ののち小学校へ異動して、今は育休中です。
ここでは、育休中に感じたことや娘の成長、仕事を離れることで見えてきたことなどを中心に書いていきます。



娘のイヤイヤ期について


1歳半ごろから2歳半ごろまであるといわれるイヤイヤ期。
娘はかなり主張が強いぶん、覚悟はしていたが予想以上にイヤイヤしてこない。もしかしたら私が鈍感なのかもしれないが…
そもそもイヤイヤ期はどうして起きるのかについて考えてみた。調べてみると、イヤイヤ期は自己主張が強くなる発達段階と、自己主張したいのに言語発達が未熟で上手に自分の思いが伝えられない段階で起きるようである。たしかに、ここ1年ほど自己主張は強くなっていると思う。(むしろうまれたときから自己主張しかない。笑)ただ、後半部分の言語発達は娘の特性なのかよくしゃべるし自分の思いを言葉にすることが上手なので、娘が”上手に伝えられないもどかしさ”を感じる場面は意外と少ないかもしれない。こちらも娘の要求には可能な限り応えているし、娘としてはそこまで欲求不満に陥らないのかもしれない。

私自身の娘への接し方も、正直かなり考えている。娘が生まれたときから決めていたのは「大人都合で子供の行動を制限したくない」という覚悟だった。仕事柄、大人都合で子供を管理する場面(必要な時もあるが)が本当に多く、また地域で見かける親子の様子を見ていても、ママ同士でおしゃべりして子供は放っておくケースに何度も遭遇している。きっと子供はママと一緒に遊びたいはずなのに、我慢している。そんな思いを子どもは言葉で表現できないから、”イヤイヤ”と表現する。
もしこういった場面がイヤイヤ期の一部なら、これは防げる。子供と一緒に遊ぶことだけがイヤイヤ期の解決法とは思わないが、大人都合で振り回すような態度を保護者側が見せないことで子供の情緒はきっと安定する。子供が言語で表現しづらい感情に“快の感情”は入っていないはず。(うれしい、楽しい気持ちを表現できずにイヤイヤする子供、見たことない。笑)イヤイヤするときは、何かしらの”不快な感情”がある。そしたら根本的な解決は不快な感情を持たせないような生活スタイルをとることだと思う。

私はすべてできているとは思わないが、遊びを中心に娘の好きなようにやらせているし、娘の希望があればお店屋さんごっこを1時間でもやる。裸足になれと言われたら一緒に裸足になって芝生を駆け抜ける。曲に合わせて歌って踊ることもある。絵本を読めと言われれば同じ絵本を何回も何回も読む。どんなに疲れていても、うとうとしながらでもやる。これは特に育休に入った時に決めた覚悟。もちろん、危険なことはさせないが、危険と隣り合わせのスリルあることなら、私の責任でやらせることもある。だって、自分自身もこうやって育てられてきたと思うから。
娘に甘すぎるかもしれないが、発達段階を踏まえたらこれぐらい甘えさせていいと思う。我慢は集団生活が始まれば自然と身につくし、協調性や社会性ももっと月齢が上がってからでいい。たくさん甘えたほうが、後々自立するのだから徹底的に娘の思いにこたえたいと思う。

そもそも今の世の中、子どもに辛口すぎる。子供が騒がしいのは当たり前だしたくさんトラブルが起きるのも当たり前。それなのに、ちょっと落ち着かない行動があると「あの子はどんな育てられ方をしているの」と冷ややかな目で見られることがある。そういった”目”が世のママさんパパさんを委縮させ、子どもに窮屈な思いをさせる要因になっていると思う。子育ては周りに迷惑をかけるものだ。私たちも散々迷惑をかけてきたはずだし、私たちの親世代、もっと上の世代もその人が子供のときはたくさん迷惑をかけてきた。だから、迷惑かけたっていいじゃん!みんなで助け合っていけばいいじゃん!と心底思う。

人として大切なことは「愛」「感謝」「恩返し」だと今の私は考えている。

愛は愛されたことがないとわからない。愛は恋愛ではない。どれだけ身近な人から大切にされてきたか、それが愛としてその人の心に残ると思っている。だから、子どもがやりたいことを好きなだけやらせてあげることは愛につながる。少なくとも大人都合で子供を管理することより愛を伝えることができる。
そして周りから助けられた時「ありがとう」が言えるには、子どものころにいろんな人から助けられて、自分の親が周りに「ありがとう」と伝えている背中を見て、何か感じるものだと思う。助け合いに報酬はいらない。必要なことは「ありがとうの心」だけ。感謝は身に付けるものではなく、勝手に身についているもの。
最後に、そういった愛、感謝を次の世代に伝える、自分がもらったたくさんの恩を次世代につないでいくことも私たちにとって大切なことだと思う。そうやって大事なことがずっと大事にされてきた歴史があるから今の私たちがいる。先祖からのバトンをつなぐ責務がある。受けた恩を返す責任は今からでもできる。じぶんがやってもらったことを、そのままやればいい。

いい循環が生まれるといい。

話がめちゃくちゃ脱線したが、イヤイヤ期がない娘を見て、いろいろと考えるきっかけになった。我が子から学ぶことは多い。


ストレス社会と根本的解決(自戒の念も含め)


先日、美容室のメニューを見ていたところ、カットやカラー以外にリラクゼーション系のメニューがあることに気付いた。美容室は髪を切るところというイメージがあった分、最近の美容室は様々なニーズにこたえるんだなあと感心。それと同時に、最近、リラクゼーション系のお店増えたよなあとも思った。
リラクゼーション系のお店に行くということは、リラクゼーションを求めているわけで、それのもとをたどると「疲れ」や「ストレス」に行きつくと思う。根本的なものは「疲れ」「ストレス」であるならば、そこにフォーカスして改善したほうが根本的な解決になるはず。でも、そういった流れよりも、表面的な「対症療法」的な需要が多い。そうやってお金を稼いでいる仕事があるから、一概に対症療法的な職業を否定はしないが、疲れやストレスは対症療法で治らないよなあとも思う。逆に、治らないから”何度も通う→お店が儲かる”という仕組みもあるんだろうなあとも思う。根本の解決を目指すほうが長い目で見たら経済的だと私は考えるなあ。

では「疲れ」「ストレス」の根本的な解決は何か。大まかに言えば、学校の保険の授業で習う、「食事、睡眠(休養)、運動」である。これを適切にできない人が本当に多いと思う。私もそう。やっと育休で生活が安定してきたけれど、食事くらいしか気を使えていない。体に良いものを食べて、適度に運動して、よく寝れば、たいてい健康になれる。これが、わかっていてもできない。いろいろ言い訳してしまうのが人間。ここを向き合えるようになればきっと健康な人は増える。では向き合えない理由は何か。
それは「思考」だと思う。現代人は成果主義になって「できた、できない」の基準で動きやすい。そして日本人はネガティブなので「できない」ほうに目を向けやすい。その思考から、ネガティブなことを考え気持ちが落ちてしまい良い状態の自分を想像できない、想像してもそこへ向かおうとエネルギーがわいてこないのだと思う。疲れ、ストレスの根本的解決のカギはこの「思考」にあると私は思う。

どんな思考が良いか、それはそれぞれが信じるものがあると思うが、前向きになる思考法がよいはず。私は選択理論の考え方がとても共感できたのでそれを信じることで気持ちの安定を目指している。(まだまだ修行中)きっと、考え方に前向きさが出てきて自分と向き合えるようになって初めて、自身の健康を考えられるようになると思う。今はそういった前向きな人が少ないからストレス社会と言われるし、いつまでたっても対症療法のお店はなくならないのだと思う。これは需要と供給だから仕方ないが、長い目で見たら対症療法に頼らない人が増えて、社会が明るくなったらいいなあと思う。
あ、そしたら、リラクゼーション系のお店の人が困っちゃうね。笑


今日も長文でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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