【連載小説】風は何処より(17/27)
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夕食が済んだのか、ワゴンに乗せられた食器類を、使用人たちが運び出していくのが見えた。
台所に持っていくのだろう。
「あの部屋がダイニングルームです」と赤石が促した。
それを見た真壁が、「鈴木は、使用人たちを拘束せよ」と命じた。
「私たちは、神津と話をする」と言葉短く伝える。
鈴木が、台所の方へ早足で向かっていった。
「失礼」と短く、真壁が言う。
城所と真壁、赤石の順にダイニングルームに入った。
豊かな銀髪の老人が、ナプキンで口を吹いていた。
フランク神津竜一。
神津は、白いシャツの上にベージュのガウンを羽織っていた。テーブルには、飲みかけの赤ワインが置かれている。
ダイニングテーブルは10人掛けの長方形で、部屋の広さの割に、思ったよりも小さい。
神津は、その一番奥に腰かけていた。
調度品は、どれもアメリカン・クラシックなデザインで、落ち着いた風合いだ。
部屋の奥には、白いグランドピアノが置かれている。
天井は非常に高い。
歴史のありそうな絵画も飾られている。
「赤石、こちらは?」
神津が、日本語で赤石に尋ねた。声のトーンは低く、流暢な日本語だ。
銃を所持した突然の来客にも、慌てる様子はない。
これまでも、常に危機と向き合ってきた男だからだろうか。
「俺は、城所正治郎って者だ」
赤石が口を開く前に、城所が言う。
「城所さん…。はて?以前にもお目にかかったことがありますかな?」
神津の口調は、あくまで丁寧だ。
喧嘩腰の城所とは対照的だ。
城所は舌打ちをし、「俺は、千鶴の夫だ」と、やや口調を荒げた。
「…千鶴。…メアリーのご主人でしたか。」
神津が目線をそらし、俯いた。
「で、あなたは?」神津は、真壁に手を差し向けた。
「私は、真壁玲子。自衛官です。そして、千鶴の娘です」
真壁もいつもの淡々とした口調で短く言う。
「あなたに伺いたい事があり、無礼を承知で参上しました」
「二人とも、メアリーのご家族でしたか。非常に驚きました。突然の事とは言え、それは大変失礼しました。良ければお掛け下さい」
と、椅子への着席を促した。
「いえ、結構」と真壁が拒否する。
「わしは座らせてもらうよ」と城所が、椅子を引いて着席した。
「銃をお持ちですので、話し合いと言うよりは、私の命を奪おうというお考えですよね」
訪問者たちの銃を一瞥し、神津はズバリ言った。
その通り、これから起こることは、暗殺であり、テロに他ならない。
「いいえ。私たちの目的は、あくまで貴方の持つ情報を伺いたいと思ってです。
武器を持ってきたのは、この邸の職員が、外交官特権による治外法権から武装しているとの情報を得ているためです。
なお、お話の内容によっては、あなたを拘束し、法務執行機関に引き渡します」
真壁が言う。
(嘘だな)城所は思った。
神津はしばし沈黙した。表情には、一切ださないが、神津は分かっているようだった。
「それで、私に聞きたい事とは、どんなことでしょうか?」
沈黙を破り、神津が尋ねる。あくまで口調は丁寧だ。
「母の事を聞きたい」
真壁が身じろぎもせず言う。
「…メアリーのことですか」
神津は、またも驚いた。
自分がCIAであり、日本の政治経済に大きく関与してきたことは、彼らは百も承知のはず。
しかしながら、カネの流れなどではなく、個人的な話を聞きたいという。
真壁は、神津を見つめたまま、手にしていた拳銃を、腰のホルスターに収めて言った。
「母は、1970年に、韓国で消えた」
「俺の前からは、昭和25年(1950年)の8月だ。東京でな」
城所が、それにかぶせた。
「母が日本での情報活動を通じて、韓国でKCIAの設立に関与したことは分かっている。
しかし、いずれも空白期間があるのだ。その間、あなたと行動を共にしていたのではないか?」
真壁は尋問するような口調だ。
「思い出話は、長くなります…。
私たちは、幼少の頃は孤児の養護施設で過ごした。里親が情報部門の人間だったので、そのように教育を施されました。
私とメアリーは、戦争終末期の1944年10月に、日本にやってきて、二人でこの六本木で暮らしを始めました。
東京は焼け野原でしたが、六本木周辺は軍事施設があったので、計画的に空爆されない地域もありました。
私は、証券会社で働きながら、その実CIAとして活動を行っていました。
メアリーは、当初からGHQで勤務していました。
しかし終戦後、情報部員が二人一緒に暮らしていると、危機管理上よくないので、メアリーには結婚させることにし、同居は解消しました。
周囲からは兄妹のように扱われていましたが、その実は男女だったと言って差し支えない関係でした。
ご本人の前で言うのも憚られるが、結婚後も、その関係は続いていました。
メアリーを、城所家から出させたのも、この私です。
日本の大物をCIAに引き込むため、女の力が必要でしたから」
城所は衝撃を受けた。
(嘘だ。千鶴は隠れ蓑で、俺と一緒になったのか!?
千鶴との出会いも、結婚も、計画されたものだったのか!?
千鶴の貞操は、尊厳はどうなるっていうンだ!?)
城所は怒りで涙がこぼれそうになった。
「ふざけンなよ!を、千鶴をパンパン(娼婦)の様に扱ったってことか。てめえらの利権の為に!」
説得するような口調で、フランクが言う。
「少し違います。女の工作員にしかできないことがあるのです。警戒されず、相手の懐に忍び込み、情報を吐かせるのです。場合によっては拷問することもありました」
「確かにその通りだ。母は、拷問のプロフェッショナルだった」
恐ろしく、おぞましい、諜報員同士の話だった。
(千鶴が拷問!?)
悪夢だと思いたかった。知りたくない過去だった。
千鶴が拷問をしている様を思い浮かべてしまった。
それは、自分が拷問を受けているようだった。
城所は、強い吐き気に襲われ、えずいた。
「城所家を出させて、私の元に身を寄せつつ、工作活動をしていたメアリーは、やがて女児を身ごもり、出産しました。1952年4月だったと記憶しています。サンフランシスコ講和条約が発効した時でしたから」
真壁は違和感を覚えた。計算が合わない…。
城所の言う、千鶴の消えた日から1年のブランクがある。
「その子は、わたしの子です」
追い打ちをかけるように、神津が言った。
「なにッ!」
真壁が驚きの声を漏らす。
「あなたが、メアリーの、千鶴の娘だというのならね」
神津は、目を細めて、低い声で言った。
「それが、私…」
真壁玲子が狼狽した。
確かに自身の出生に関する話は、母からは詳しくは聞いていない。
父親は日本にいるとだけ聞いていた。
しかし日本の時の写真などは、母は一切持ち合わせていなかった。
韓国に来た時にすべて処分したのだと言っていた。
同様に、城所も衝撃を受けていた。
愛妻を、目の前の男により奪われた挙句、子供まで孕まされていたとは。
(なんて日だ…)城所は絶望した。
「その子には、リンダ(Linda)と名付けたよ」
懐かしい日々を思い出すように、神津が言う。
そう言われて玲子も思い出していた。
「真壁玲子」は、戸籍上の名ではなく、通名なのだ。
「リンダ(Linda)」を、韓国語読みすると、「リンズ」。
それを漢字に変換して「玲子」としたのだ。
子供の頃の記憶と辿ると、たしかに「リン」と呼ばれていたことがある。
「真壁」姓は、母の旧姓だという「マキャベリ」を日本語風に読み替えたものだった。
(この話は、嘘だ)と玲子は思った。冷や汗が背中を伝う。
ふと窓ガラスに映った自分の姿を見て思った。
自分は、目の前にいる二人のうち、どちらの老人に似ているのだろうか。
母には、似ているのだろうか。
「では、なぜ、そんなことになったのか、お話しよう」
フランクは、一口ワインを飲んだ。
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