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面倒なことを楽につづけるには、ほどよく負荷をかけるほうがいい。

先週書いたこのnote。

「毎日1冊本を読む」習慣は、一応まだ続いていて、1週間で7冊読んだ。

何を読んだかはどうでもいいと思うけど、「ボクはやっと認知症のことがわかった」「使う!ロジカルシンキング」「がんばらない練習」「対比思考」「仕事消滅時代の新しい生き方」「鼻専門医が教える「熟睡」を手にする最高の方法」「シリコンバレー式超ライフハック」こんな7冊を読んだ。

1日1冊というのはそれなりに大変ではあるんだけど、意外に続けるのに大切なことって、ほどよく負荷をかけるってことなのかなと思った。

簡単すぎず、無理しすぎないくらいのほどよい負荷。
「わーちょっときついかも」くらいの目標設定

毎日1冊読むにあたってルールはなんとなく決めていて、
・とにかく最後まで読み切ることと
・気になった箇所はメモを取ること
・1冊で2つ以上は人に話せるトピックを探すこと

これくらいのゆるい設定をしている。

ほどよく大変ではあるんだけど、あんまり簡単過ぎると、どうでもよくなる気がするし、あまり「やった」っていう達成感がないような気もする。

1日1冊は、ちょっときつくて、ちょうどいい。
何より、毎日1冊読むのが当たり前になれば、読むこと自体が何でもない楽なことになるはずだ。

できない日はやらなきゃ良いだけの話なので、ちょっと無理すりゃできるじゃんってくらいの目標設定にして、負荷をかけてやるのがいいと思う。

読書以外でやっていることの中では、毎日1枚写真をブログにアップするというのもけっこう面倒で、それなりに負荷のかかることだ。
だけど、気がついたら5年以上続いてる。
以前は「時間があったら」「気が向いたら」って頻度でやっていて、更新が数ヶ月くらい空くのは当たり前だったけど、毎日やるって決めたら、いつの間にかそれが普通になっていた。

毎年やっている写真展のために、毎日15分写真に向きあう時間を作るっていうのが目的だったので、写真と一緒にアップする文章は、当初1行程度だったけど、いつの間にかある程度の量を書くようになってきた。
で、書くのに慣れてきたので、noteをはじめてみることにした。
負荷をかけて、それに慣れて、やるのが当たり前になったことで、次の段階に進んだってことなのかなと思う。

すぐに何の役に立つのかはわからないことだけど、負荷のかかることを永遠とつづけていくうちに何か別の価値や力が生まれるんじゃないかなと思う。
それがお金になるとか、そういう実益的な価値がつくかどうかはわからないけど、少なくとも何かの力にはなっているはずだ。

って書いていて、自分にとっていま一番大きな負荷は、このnoteを続けるってことかもしれないなって思った。

週一回更新しよう!って決めて、noteを始めたんだけど、これが1日1冊本を読むより、毎日ブログをアップすることより、何なら仕事よりも何よりも、精神的にキツくて苦しい。
一時期、あまりにも書くことが見つからなくて、書いても全然納得いかなかったりして、「もうやめよう」って思いながら毎週続けてた。
誰に頼まれてやってるわけでもないのに勝手に苦しんで、自分でも「ばっかじゃないの!」って思ってた。

いまは少しだけふっきれて、気楽にやっていこうってモードになってきてはいるけど、それでもそれなりに苦しさは続いていて、こんな苦しい思いをして、たまの休みを使って何やってんだ…って自問自答は相変わらず続いている。

ちょっと重めの負荷になってる。
そのぶんやりきれば、達成感はある。
たぶん、それがあるから無理してやってるんだろう。
noteという重い負荷がかかったことで、毎日書くブログの方は格段に楽になったし、仕事に関してもnoteに比べてれば楽くらいに思えたりして、別の所で効果を発揮してくれている気もする。

大きめの負荷をかけてることで、メンタルが強化されているんだろうな、きっと。

日々、どうやったら「楽」にいろんなことができるようになるかって考えているんだけど、楽になるための近道って、「きつさ」を乗り越えることだったりする。
だから面倒なことを楽にこなせるようになるには、それなりの負荷をかけるのが、遠回りに見えて一番手っ取り早いのではないかと思う。
苦しみの後に「楽」はある、はずだ。

・毎日やる/定期的にやる
・ほどよい負荷をかける

これが面倒なことを楽につづけていくコツのような気がする。
なんともめんどうな話だけど。


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