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20年前の自分から改めて学んだ「大切なこと」

どうやらいまGWらしい。
ただ何の関係もなく、仕事のメールがふつうに来る。
ただ普段よりちょっとだけメールも少ないから時間に余裕がある。
そんな時間を使って、昨日は家の中で捜し物をしていた。

20年前に使っていたノートパソコン。
棚の中の箱という箱を引っ張り出して探した。
探しても探しても見つからず、探すのをあきらめて、別のものを探していたら、いちばん最初に探したはずの箱から出てきた。
探すのをやめた時 見つかる事もよくある話でってやつだ。

動くのか、これ?ってくらいボロボロだったけど、起動してみた。
バッテリーの充電が切れていたので立ち上がるのにかなり時間がかかったけど、なんとか動いた。

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20年前、ちょうど会社をやめてフリーになった頃に使っていたパソコン。

文章が打てて、外でメールが送れればいいという用途で買ったノートパソコンだ。
このパソコンで原稿を書いて、沖縄から公衆電話でインターネットにつないでメールを送った記憶がある。

会社を辞めてフリーになった2001年。
何をやったらいいかわからなくて、色んなことをやっていた。
大半は、飲んで遊んでたんだけど、頼まれてホームページを作ったり、プロモーションビデオ作りのお手伝いをしたり、カメラマンをやったり、ライターをやったり、編集の仕事で企画を考えたり、本のデザインをやったり、母のパソコンを修理しに宮崎に行ったり、父の引っ越しの手伝いで奈良に行ったり、沖縄出張に同行して就職の面接をすっぽかしたり、アルゼンチンに1ヵ月間仕事で行ったり、911があったり、父がガンで他界したり、なんだかとてつもなく目まぐるしくて、思い出してみると1年のこととは思えないくらい濃い時間だった。

20年前のパソコンを探したのは、今年の2月のnoteに「20年前、フリーランスになった年に何をやっていたか」ってことを書いたんだけど、記録がなくてわからなかったり、忘れている部分が多すぎて、いつか時間ができたらもう一回書き直そうと思っていたからだ。そのための手がかりが何か入ってないかなと思ってパソコンを引っ張り出してみた。

けっこう、いろいろ見つかった。
メールの履歴とか、その時の心境を書き留めたメモとか、スケジュールの詳細とか、なんだこれ?な写真とか、記憶からすっかり抜け落ちていたものがいろいろ出てきて、なんだか知らない人のプライベートをのぞいているみたいだった。
欠けていた部分も補完できそうなのでいつかnoteも書き直そうと思う。

意外だったのは、かなりいい加減な毎日を送っていたと思っていたけど、それなりにちゃんとやってたんだなってことだ。
改めてフリーになった年のことを振り返ってわかったのはいまと「大切にしてること」がそんなに変わってないってことだった。

以前書いた「仕事をする上で大切にしている3つのルール」

早くやる
たくさんやる
なんでもやる

状況が違うので、やってることは違うけど、これを意外にきちんと守っていた。

早くやる

フリーになった年、ライターの仕事をしていた。
WEBサイトで記事を書く仕事。
20年前なので今ほどのスピード感ではないと思うけど、とにかく締め切りが早くて時間のない仕事だった。
ただ、その締め切りより早く送るようにしていた。
相手が急いでいる場合には、締め切りよりも圧倒的に早くやって、スケジュールに余裕を作るとそれだけでものすごく感謝されるし、次につながりやすい。

同時にやっていた編集の仕事もとにかくすぐうごくことを心がけていた。
企画になりそうなものは、すぐ企画書にして、すぐ人に会いに行っていた。
のちに有名になる女性起業家とか、ある事件に関係のある女性格闘家とか、某有名アーティストの企画を所属事務所に持ちこんだり、学生闘争で無期懲役になった人との往復書簡を社会学者にお願いに行ったり、大物著者に会いにテレビ局に行ったり、とにかくすぐによく動いていた。
今から思うと信じられないフットワークの軽さだ。
これはちょっと見習わないと。

たくさんやる

ライターの仕事はスピードと同時に数もたくさんこなしていた。
600字の原稿を3日で40本くらい書いていた。
早さと量を圧倒的にするっていうのは、この頃から変わってない。
スピードと量で圧倒したら、最初は小さなレビューを書く仕事だったけど、数ヶ月後には企画会議に呼ばれるようになって、特集を考えてそれを執筆する仕事に変わっていた。
とにかく、スピードと量、これは信頼を獲得する近道だと思った。

デザインについても同じで、できるだけ案をたくさん出すようにしていた。
まだ未熟だったから「捨て案」もまぜていたけど、当時はそれほどのスキルがなかったのでしょうがない。でも捨て案はあまり意味がない。
全部良くて選べないくらいの選択肢を用意するのがベストだ。
迷うくらい選択肢がある方が仕事は円滑に進むし、なによりそういう人に次も仕事を頼もうって思う。

なんでもやる

もともと、やりたいことなんてなかった。
考えてみたら、ぼくは、ただ頼まれたことをやってきただけだ。
流れにまかせながら、頼まれたことを超全力でやってきた。

今までやったことがない事を頼まれることがある。
できるかできないかわからないけど、面白そうなことなら「やります」ってとりあえず言ってみる。
できるかどうかは、あまり関係ない。
でも頼まれたってことは「できる」と思って声をかけられたってことだ。
その時できなくても、やりきれば「できる」ことに変わるし、できなかったら相手に見る目がなかったってことだ。その時は、すみませんって謝ればいい。
20年続けてるブックデザインの仕事もそうやって始まった。

編集の仕事も、ライターの仕事も、仕事を頼まれるまでやったことはなかった。
映像のカメラマンとして1ヵ月南米ロケに行って、現地で初めてハイビジョンカメラを触って使い方を覚えるなんてこともあった。
もちろん教えてくれる人はいないし全部独学だ。
お金を払って教えてもらうよりも、お金をもらって学んだ方が圧倒的に覚えは早い。
そもそもできなかったら即ゲームオーバーだ。次はない。
地獄かと思うほど大変だったけど、本気でやればどうにかなるものだ。
やりたいことがなかったら、「頼まれる達人」になってみるのもいい。
意外なところに自分に向いてる仕事との出合いがあるかもしれない。

ただ、どうやったら、頼まれる人になるかだ。
それはすごく小さな事の積み重ねだと思う。
小さな頼まれ事を、ただやるんじゃなくて、やりすぎるくらいやることで、道は拓かれていくんだと思う。
最初は仲間うちの小さな頼まれ事だったり、誰もやりたがらないような面倒な作業かもしれない。
ぼくの最初の一歩もバイト先の先輩からの面倒でよくわからない頼まれ事がスタートだった。
それが連鎖していって、意外な人に会うようになって、いつの間にか思いもよらない事を頼まれるようになっていった。
とにかく、小さなことでも、過剰にやりこんでいけば、その先に道ができていく。
意外に、どこかで誰かが見ていてくれたりするものだ。


いまとだいぶ中身は違うけど、「大切にしていること」の基本はそれほど変わってないと思う。

・早くやる、鬼速で早くやる
・たくさんやる、超大量に作る
・なんでもやる、あきれられるくらいやる


今でもこれが大事だって思っている。
ようするにあまり成長してないだけかもしれないけど…。

20年前のパソコンをながめながら、大切なことを改めて思い出した。



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