見出し画像

無職になるまで日記

思い返せば、なるべく笑いたい、笑いに包まれていたい。と躍起になっていた。

悲しい出来事からは距離を置く。

ただ、そうしたところで、悲しい出来事はやってくる。

大学生の頃、大好きになった女性と、一緒にいられない悲しさから、彼氏がいたその女性に対して、『別れてしまえばいいのに』と願う自分がいた。

そんな自分のエゴを自覚した時に、なんて自分は嫌なヤツなんだと。自己否定から気持ちが落ち込んだりもした。
(この時はあまりにも落ち込み、居ても立っても居られない中、友人にSOSを出し、朝まで一緒に居てもらったりした。)

なるべく、笑顔の時間を増やし、楽しい時間を増やし生きてきた。

フィクションの世界にはハッピーを求め。悲しい話は避けている。

そうして、自分にとって楽しいと感じること、幸せに思える時間、ストレスのない関係ばかりを構築していった。

その結果、あまりにも幸せすぎて、今度は、今の幸せを失うのが怖くてたまらないという状況になってる。

幸せが故の苦しみには、対抗策はなく。

ましてや、抗えない『死ぬこと』への恐怖は、お手上げ。

不幸や悲しみは、それを解消しようとする時間や行動や感情を引き起こす。という点で価値があり。

満たされないことで、進めば、満たされた先の喪失を意識しないですむのかもなぁと。

なんにしても贅沢な話だけど


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?