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育児には「ちょうどいい」瞬間がない

我が家にはいま、1歳10ヶ月になる娘がいる。
娘は保育園に通っており、我々夫婦はそれぞれ共働きをしている。父である僕はフルタイムで、母である妻は時短勤務だ。また、それぞれの実家は九州の方にあり、通える距離に頼りになる親族はいない。

さて、「共働き育児」と聞くと、たいてい世間一般のイメージとしては「めっちゃ忙しくて大変」というものだろう。何をするにもとにかく時間がなく、部屋は常に散らかり放題。特に平日の朝は保育園への登園を拒否する子どもとの戦争状態で、食事なんかも基本は冷凍食品。そのうえ、ドラム式洗濯機、食洗機、お掃除ロボットといった時短家電をフル稼働してようやく生活が回る。…とまあ、なんとなくこういうイメージ。これは、半分は正解で、半分は不正解だ。少なくとも、我が家においては。

いろんな事情の人がいるので、あまり大きな声で言うことではないが、正直「子育て、イージーだな」と思う瞬間もある。毎日朝9時にどちらかが保育園へ子供を送り、18時に迎えに行く。そこから子を風呂に入れ、食事をとり、寝かしつけをする。もう片方は、食器を洗ったり洗濯物を畳んだりする。そうこうしていると、だいたい夜の21〜22時。2〜3時間ほど自分の自由時間を過ごし、24時ごろに就寝。これが、だいたい平凡な日常のサイクルなのだが、慣れてしまうと正直なんのことはない。ふとしたタイミングでポケットに入っていた小銭をたまたま見つけるかのように、不意に3時間くらいフリーな時間を手にし、「あれ、なんか暇だな…」と思う日も少なくない。

こういう日が続けば、「育児って思ってたより簡単やな」とついつい愚かな僕などは思ってしまうわけだが、これは当然重要な条件が前提となっている。それは、家族全員の心身が健康なときだ。

もし、家族の誰かが体調を崩すとする。その筆頭は、当然娘だ。ウイルス対策リテラシーのかけらもない幼児が何時間も共同生活を送る保育園で、一切の風邪をもらわないというのは、ゲリラ豪雨ふりしきる屋外で、全く雨に濡れず駅から徒歩10分の道のりを歩いて帰宅するくらい難しい。「子どもは保育園で病気をもらいまくる」というのはもはや常識で、もちろん入園前に事前に嫌というほど聞かされていたが、それは娘においても例外ではなかった。ひとつ、想像と違ったのは、「思ってた8倍、体調を崩して帰ってくる」ということだろう。

こうなると、父か母のいずれかは娘の風邪をもらい、そしてどちらかがもらうと、もう一方ももれなく感染する。これで見事全滅。しかも、親が子どもからもらう風邪は症状が重い(これもよく言われている)。コロナ禍で手洗いうがいを徹底するようになり、2年ほどまったく体調を崩さなかった僕が、子供が保育園に入園してからの半年足らずで3〜4回くらいは寝込むほどの風邪を引いてしまった。

この状態になると、イージーだったはずの日常の育児は一気にエクストラハードモードと化す。39度の熱があるのに子供を保育園に連れて行かないといけない場面は当然あるし、熱と頭痛とだるさで死ぬほどきつい土日に日中ワンオペで子供の面倒を見ざるを得なくなったりする。これはもう、普通にめっちゃしんどい。こういうとき、状況を深刻に捉えようとすると耐えられないので、笑っちゃうしかない。

結局、いまのところ我が家での育児は、「イージーな瞬間」と「エクストラハードな瞬間」のどちらかしか存在しない。ちょうどいい瞬間がない。スイッチでいうなら、つまみを回すタイプのやつではなく、家の照明みたいにONかOFFのどちらかしかない。ただ、これについて愚痴を言ってもしかたないので、「ああ今はそういう時期なんだな」と思ってじっとやり過ごすしかないと思っている。