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【めくるめく幻想と狂気のファンタジー】映画『ばるぼら』

11月20日に全国公開された映画『ばるぼら』手塚治虫原作の同名漫画を息子である手塚眞監督が映画化。しかも主演が稲垣吾郎と二階堂ふみということで、昨年の東京国際映画祭で上映された時から公開を心待ちにしていた作品。という訳で、公開二日目の11月21日の11時45分からの舞台挨拶(中継)回で鑑賞してきたぞ。

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鑑賞直後は、正直この作品をどう捉えていいか分からなかった。これはファムファタールを扱った作品なのか、妄想に取り憑かれた男の話か。そこで原作本とパンフレットから、本作のテーマ、映画化の意図などを筆者なりにまとめてみた。今作を観ようか迷ってる方、既に観た人など、気になる方は是非目を通していって欲しい。(ちなみに本作のパンフレットは内容がかなり凝っているので映画を気に入った方、内容をもっと深く知りたい方には強くお薦めしたい!)

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【作品情報:『ばるぼら』】

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製作年:2019年 製作国:日本・ドイツ・イギリス合作 監督:手塚眞

耽美小説で人気を博している小説家の美倉洋介は、異常性欲という悩みを人知れず抱えていた。そんなある日、駅の片隅で、薄汚れたコートを羽織い地面に寝そべっているホームレスのような少女、ばるぼらと出会い、自宅に連れて帰る。酒飲みで手癖も悪くトラブルメーカーなばるぼらだったが、美倉は彼女に奇妙な魅力を感じ追い出すことができない。そして彼女と出会った事をきっかけに、美倉は幻覚とも現実ともつかない不思議な出来事に次々と遭遇する事となっていく…

【手塚治禁断の問題作『ばるぼら』とは?その背景、製作意図を探る】

『ばるぼら』は、1973年7月10日号から1974年5月25日号まで『ビックコミック』(小学館)で連載していた手塚治虫による漫画である。『火の鳥』や『ブラックジャック』など、数々の名作を世に出してきた手塚治虫の作品は誰でも一度は目にしたことがあるのではないだろうか。本作はその中でも大人向けの作品といえる作品だろう。本作は、耽美派小説家として世間で人気を博している美倉洋介は、街の片隅でうずくまっている薄汚れた女「ばるぼら」と出会う。そしてそれから美倉の現実とも幻想ともつかない日々が始まっていく…

 漫画版の『ばるぼら』は短編の連作集となっており、美作が毎回何らかの事件に巻き込まれていくのがパターンとなっている。手塚治虫はインタビューで、この物語のことを、芸術のデガダニズムと狂気にはさまれた男の物語と語っている。デガダニズムとは、芸術における退廃主義という意味を表すが、自堕落的な美倉のキャラクター(手塚治虫自身を反映してると言われている)や、物語全体に漂う虚無感はまさしくといえるだろう。また美倉が遭遇する事件の多くが現実とも夢とも言い切れない辺りや後半の悪魔崇拝などが描かれる辺りは狂気という点に通じているといえる。
手塚治虫自身、『ばるぼら』を連載していた頃は連載作品が人気を振るわなかったり、経営していた虫プロダクションと虫プロ商事が倒産するなど、人生のどん底の時期であり、本作にもその心境が影響していたのは間違いないだろう。
原作はまさしく全編通して『ゆめうつつ』といった雰囲気で、どこか地に足のつかない幻想的な雰囲気を感じる作品だった。映画のポスターの『狂気の果て。あれは幻だったのだろうか』というキャッチコピーも、映画を見終わった後はピンとこなかったが、原作を読んだ後だとよく分かる。

【映画はどのように映像化したのか?監督のインタビューからその意図を探る】

では、この作品を手塚眞監督はどのように映画化したのか?手塚監督のこれまでの経歴を振り返ってみよう。手塚眞監督は、1961年に手塚治虫の長男として生まれ、日本大学藝術学部映画学科に進学後、映画監督など映像全般に関わるクリエーターとして活躍している。『星くず兄弟の伝説』(1985年)、『ブラックキス』(2004年)など、これまでも様々な作品を手掛けており『白痴』(1999年)でヴェネチア映画祭はデジタル・アワードを受賞している。

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ビジュアリストという肩書きを持つだけあって、どの作品にも共通していえるのが、その作り込まれた世界観。映画の内容を知らなくても、そのビジュアルに思わず目を惹かれてしまうだろう。また手塚眞監督が手塚治虫原作作品の映像化に関わるのは、今作が初めてではない。2004年から2006年に掛けて日本テレビ系列で放映されていた『ブラックジャック』、『ブラックジャック21』を手掛けている。(その前身となる『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』も手掛けている)

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それでは、今作の『ばるぼら』の映像化はどうだったか?本作を鑑賞した時に筆者が感じたのは、想像以上にポップだということ。美倉の異常性欲という設定をはじめ「性」を題材として扱っているため、もっと生々しい雰囲気かと思っていたが、オープニングのアニメーションをはじめ、作品全体の雰囲気は想像以上にポップで見易い。もちろん原作と同じように退廃的で妖しくもあるのだが、それは生々しさやリアリティを感じさせるというよりは、「ポップ」というフィルターを通したような柔らかさの感じられる世界観だった。手塚眞監督はパンフレットのインタビューによると、「手塚治虫の作品には品がある」と語っており、また、別のインタビュー(京阪神エルマガジン社)では「ばるぼらの原作は一種の寓話」とも述べている。そうした考えが根底にあるからこそリアリティではなくファンタジックな世界を作りあげたのだといえる。

バルボラ①

次に本作を語るうえでハズせないのが、強い存在感を放つ映像と音楽
撮影監督はクリストファー・ドイル。映画ファンならお馴染みウォン・カーウァイ監督の作品などで知られる撮影監督だ。手持ちカメラを主体としたカメラワークと、スタイリッシュな画面構成や色彩構成を得意としており、一目観たら、これはクリストファー・ドイルだと分かるくらいのインパクトのある映像を撮っている。最近ではアドレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エンドレス・ポエトリー』(2016年)や、オダギリジョーと組んで『ある船頭の話』(2019年)などでも撮影監督をつとめている。
本作の原作である漫画版の舞台は1970年代の新宿、本作でも新宿の歌舞伎町を舞台としているが、クリストファー・ドイルの持ち味であるスタイリッシュな映像と、「外国から見た日本」というフィルターを通じて、見慣れたはずの新宿がよりファンタジックな映像へと仕上がっている。

バルボラ②

音楽を担当したのは橋本一子。ノンジャンルで様々なアーティストと共演している。今作ではフリージャズのような音楽が、本作のどこか妖しくムーディな雰囲気をより盛り上げてくれている。

【ブラックジャックとピノコの原型?稲垣吾郎と二階堂ふみというコンビ】

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メインを演じた2人のキャスティングはどうだったか?美倉洋介を演じる稲垣吾郎については、原作も未読という事もあり、てっきり手塚治虫作品のロック・ホームのような人物を連想してたので、原作に美倉を見た時は、予想以上にガタいがよくイメージと違っていたので驚いた。稲垣吾郎の美倉は、線が細いが、その分作品全体の耽美的な雰囲気で、これはこれで作品の雰囲気にハマっている。

美倉洋介

ばるぼらを演じた二階堂ふみに関しては、もはやベテランの風格さえ漂っているので、今作に関しても言わずもがな。子供っぽっかたり急に妖艶な女になるばるぼらという難しい役どころを見事に演じている。
筆者が面白いと感じたのは、2人の関係性。トラブルメーカーで手の掛かるばるぼらと、そこに巻き込まれる美倉の関係はまるで手塚治虫の往年の名作『ブラックジャック』のブラックジャックとピノコの関係性を連想させる。

バルボラ③

実際に、パンフレット内の手塚眞監督と漫画家の永井豪の対談でもこのことに言及されており、『ブラックジャック』は『ばるぼら』直後に連載を開始している。なので、もしかしたらピノコのモデルは、ばるぼらなのかもしれない…そう思ってみるのも一つの楽しみ方かもしれない。

【総評:まとめ】

いかがだっただろうか。筆者の率直な感想としては、映画版『ばるぼら』はビジュアルを中心に世界観がかなり作りこまれているので、予告編やポスターなどのビジュアル面に惹かれた方は、観る事をお薦めしたい。逆に気になった点としては、70年代が舞台ということで、台詞の言い回しや価値観などに若干時代感を感じたこと。
また映画鑑賞後に原作を読んだが、映画版はあくまでも原作の基本のエピソードをまとめたものになっており、個人的には映画内のエピソードよりも面白いと思うエピソードがあったので、こっちで映像化して欲しかったという気持ちもある。正直、これだけキャストがハマり役で世界観が作りこまれてるなら、映画ではなくドラマの方がより題材と合っていたのかもしれないとも感じた。
また、映画好きとしては、『アイズワイドショット』(1999年)を思い起こさせるような中盤以降の展開もなかなか面白かった。気になった方は是非ともチェックしてみて欲しい!

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