【混沌の時代だからこそ観るべき映画がある】『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想
人生を肯定する映画だし他者を肯定する映画だと思う。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下エブエブ)は、今話題のマルチバースがテーマの映画だ。
マルチバースとは「ifの自分」がいる世界。ifだから映画スターの自分がいたり、料理人の自分がいたり、科学者の自分がいたりとあらゆる自分がいる。
可能性の数だけ自分がいる世界。その中で「何物にもなれなかった自分」が本作の主人公エヴリンだ。
あらすじはシンプル。
「この宇宙を破壊しようとする悪いヤツがいる。それを倒すことができるのは選ばれし者だけ」その選ばれし者がエブリン。要はこの映画はヒーロー映画でもある。
戦う方法はバースジャンプという最高に変な行動をすること。そうすることで別次元の自分の特殊能力を借りることができる。だから何者でもないエヴリンもカンフーマスターになれる。
冴えないはずの自分がカンフーを駆使して敵を蹴散らしていく。カタルシスを感じる展開だ。
だが『エブエブ』はカンフーで戦い敵を倒すだけの映画じゃない。
この映画にはその先がある。そこが新しいし賞賛されている部分だと思う。
あらゆる次元の能力を使って果敢に戦うエヴリンだったが、ある強大な運命の前に挫けそうになる。
全てのバースで自暴自棄になろうとするエヴリン。絶望の狭間で彼女は希望を目にする。それは彼女の夫のウェイモンドだ。
多くのメッセージが込められた作品だが、その内の1つは「人に優しくしよう」ということ。
この世界のウェイモンドは優しいが気弱、これまでのヒーロー映画なら脇役的存在だ。でも、それもこの映画が登場するまで。彼の優しさがこの映画では希望であり救いとなる。
ウェイモンドは力ではなく対話と慈愛で問題を解決しようとする。
面倒なお客にも付き合うし、厳しい監査官にも辛抱強く説得する。そして監査官を説得することに成功する。
それはエヴリンが考えもしなかった可能性だ。世界を救いたければ敵を倒すんじゃない、救うんだ。
エヴリンはそれまでウェイモンドのことを見下していた。会話もロクにしないし、故郷を捨てて彼と結婚したことを後悔している。
そんな彼女にウェイモンドは言う「頼りないかもしれないけど、僕なりに闘っているんだ」と。そしてエヴリンは自分が歩んできた道が失敗ではなかったことを悟る。
この映画には「寛容と理解」というメッセージも込められていると思う。
世界が繋がっているなら人に向けた敵意や無理解はいずれ自分に返ってくる、因果応報のように。本作のボス的存在(ジョブ・トゥパキ)とエヴリンの関係が指し示すところはそういうことだろう。
素晴らしいし凄い映画だと思う。
人々を取り巻く不安を個人レベルから世界まで包み込み救おうとしている。
失敗や挫折で人生を失敗したと思っている人にこそ観て欲しい。この映画のメッセージが響くはずた。
失敗だと思ったその道も幸せへ繋がっているかもしれない。これはあらゆる人生を肯定する映画だ。
「これが価値観がアップデートされた今の時代の映画だ!」と見せつけられたような気分を味わった。
「最先端のカオス」ってキャッチコピーもまさしく的を得てる。これだけ真摯で強烈なメッセージを、何でもありのハチャメチャな世界観で伝えようとしているのだから。
そう素晴らしい映画だ。素晴らしいのは間違いない。だけど、正直取っつきにくさも感じた。
この監督コンビの前作『スイス・アーミー・マン』を観た時と似ていて、ビジュアルや世界観は大好きなんだけど、微妙に心のツボからズレる感じ。
「アカデミー大本命、最有力」という言葉で自分にも先入観があったかもしれないが、広く受け入れられるタイプじゃなく人を選ぶ映画だと思う。
というか、この監督コンビ作風がなかなか尖ってる。
ただ、世界が分断している今だからこそ、この映画に込められてるメッセージは響くし必要だと思う。
日本公開まで1年掛かったけど、これだけ尖った作品をIMAXで観れるまでに漕ぎつけてくれた配給のギャガさんには感謝したい。
合う・合わないはあれど今観るべき作品である。
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