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【復讐と悲劇の物語として観る】映画『ブラックパンサー』感想

11月11日から公開中の『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』。観に行く予定はあるものの未だ見れていない。とりあえず復習として前作にあたる『ブラックパンサー』を久し振りに鑑賞した。

『ブラックパンサー』はMCUの中でも特に好きな一本だ。作品の素晴らしさは言わずもがな。ヒーロー映画としては異例のアカデミー賞7部門ノミネート、3部門受賞という結果だけで本作の素晴らしさは伝わるだろう。

物語の面白さやビジュアルの格好良さにも痺れるが、特に男同士の宿命の闘いを描いてるところが筆者には深く刺さる。

これも一種のブロマンスと呼べるのだろう。バットマンとジョーカー、悟空とベジータ、『ヒート』(1995)におけるアル・パチーノとデ・ニーロのように好きや嫌いという次元を超えて、人生の中で避けられない出会い方をしてしまった関係性にロマンを感じるのだ。

最近だと『RRR』のラーマとビームのような熱い友情に結ばれた関係性も好きだけど、こうした宿命ともいえるような関係性も大好きだ。

ということで、今回は『ブラックパンサー』の感想を語っていきたい。ちなみに本作はネタバレありきで語ってるので、未見の方はご注意ください。

2018年製作/134分/G/アメリカ

本作を始めて観た時は、チャドウィック・ボーズマン演じるティ・チャラの物語として楽しんだ。王座を奪われた男が苦難を乗り越え真の王に返り咲く、まさに王道のヒーロー映画といえるだろう。

ティ・チャラ個人の物語だけでなく、高度な科学技術を共有するか守り抜くかという今の時世を反映したかのような展開や、部族間同士の争いなどただのヒーローの成長譚だけに留まらない奥深い設定も魅力的だ。

その中でも筆者が本作を好きな理由にヴィラン役のキルモンガーが魅力的過ぎるということを挙げたい。
筆者は悪役がただの悪者として描かれる作品より、生きていく過程でヴィラン(主人公と相対するモノ)にならざるを得なかった者たちが描かれてる作品の方が好きだ。

『ジョーカー』もそうだし『ザ・バットマン』のリドラーもそう。悪役が魅力的なのが自分がMCUよりDCに惹かれる理由の一つでもある。

そういう点で『ブラックパンサー』のキルモンガーは、他のMCUのヴィランに比べて背景がしっかり描かれており、主人公と戦う理由も明確にある。

血族ではあるが、2人の生い立ちや考え方は正反対。いわばティ・チャラとキルモンガーはコインの表と裏のような関係性だ。

キルモンガーの視点から本作を観るとより味わい深い。キルモンガーは幼い頃に父親を殺され置き去りにされた悲しい過去を持つ。キルモンガーの冷徹な立ち振る舞いから、彼が壮絶な過去を送ってきたことは想像に容易くない。

キルモンガーを主人公に置き換えると本作は復讐の物語としての顔を見せる。父を殺した男の息子を倒し見事復讐を果たす。「リベンジもの」というジャンルがあるが、キルモンガーを主人公にした作品としても本作は充分に成り立つ魅力がある。

だが悲しいかな、キルモンガーは結局、倒され復讐は失敗する(最後は自ら死を選ぶが)。奇しくも父親と同じ運命を辿ることになるキルモンガーは並みのヴィラン以上に悲しみを背負ったキャラクターなのだ。

本作が悲劇なのは、父親と同じ道を辿るのはキルモンガーだけでなくティ・チャラも同じだということ。父が弟を殺したように、結果的に肉親を死なせることになる、そこが切ない。

キルモンガーがここまで魅力的なのは、設定だけではなく彼を演じたマイケル・B・ジョーダンの格好良さにもある。『クロニクル』で観た時から華のある役者だと思っていたら『クリード』で完全に魅力が開花した。

正直な気持ちをいえば、キルモンガーはこの作品で終わらせるのは凄く勿体なく感じる(ただ、こうした終わらせ方だから凄く熱さがある)。

この登場場面が印象的。正直、ひと作品のヴィランで終わらせるには勿体無さ過ぎる…

もちろんライアン・クーグラ監督の脚本・演出が素晴らしいからキャストの魅力も引きあがる。『クリード』シリーズでもそうだが、男同士の戦いを描かせたら期待以上のモノを見せてくれるので大好きな監督だ。

ということで『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』を観るのはもうしばらく先になりそうだが、どんな作品になっているか観るのが楽しみである。


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