苦手なことにぶつかったときに見える光

私は好きなものにはとことんのめり込む。
だたし、その好きなもののストライクゾーンが驚くほど狭い。
これが悩みでもあるし、アイデンティティでもあると考えている。

これが何の話か、というと今年の夏から今にかけてコーディングを勉強してみた。社会人向けのスクールに通って。
聞くところによると、私が通っていたスクールは実績があり、たしかにいろいろな企業のお偉いさんがこのスクールの卒業生だったり、実際にその業界で働いてる友人にも、そのスクール卒業生の評判は良かった。

しかし、そんな環境の中で私は挫折しかけた。
できると思ったが、コーディングの山は険しかった。
たぶん、ウェブデザインやUIのセンスがない、
というより興味がほかに比べて薄い。

コーディングも始めた発端は、デザイナー目指すならコーディングも触っておいた方がいいということであった。それに納得し、講座を受けてみた。(結構受講料高かった)実際にコーディングを独学でやろうとしめげた経験もあったのも自分を後押しし、「人に聞ける環境なら、きっとできるようになるだろう」と思ってチャレンジしてみた。

しかし、やはり完璧なほど能動的に動いたときじゃなければ、私はのめり込めないようだった。誰かに頼れば― 、誰かにオススメされたから― 、で始めたことはある程度はできるようになるが、自分の満足できるほどクオリティが詰められない。それが証明できた。

ことわっておくが、これはネガティブな話ではない。
チャレンジしてみて、自分には不得意だったという発見があったのだ。

自分が興味を持ったものは、熱中し始める。それは時間を忘れるくらいに、周りが見えないくらいに。のめり込んでしまう。
それが自分の中の興味があるか無いかの定規である。

そういうジャンルには、やはりなかなか出会えないのだろう。
この1年、自分の好きなものとは何か得意なものとは何かを考えて暮らしてきた。配信も、動画編集も、保育士の仕事も、コーディングも、ロゴデザインも、英会話も。

コーディング課題と保育士の仕事の合間に、「これが終わったら〇〇〇にチャレンジするんだ!」という楽しみが生まれていた。
それが今の活力だ。

〇〇〇に入るものは、やはり今までやってきたものが入った。
動画編集・投稿とか、イラストとか、ロゴデザインとか、英会話とか。
苦手なものにぶち当たったときに、本当に好きなものって見えてくるんだなと思った。

だからこそ、手を伸ばしてチャレンジすることは大事だと悟った。
チャレンジすることで、その先が自分にハマっていればそれでよし。
ハマらなかったら、好きなものが見えてくる。

だから、私は4月からも新しいことにチャレンジしようと思う。
次は何かな。動画編集をさらに頑張ってみる、仕事にしようとしてみる。
3Dモデリングかな?
そんな物思いにふけって自分に費やす人生もいいものだな。
と前向きにとらえるのだった。

おわり。

しもきたろん。

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