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コロナ禍4回目の帰国。抗原検査を待つ間に舟を漕ぐ

日本に帰国する。タイから帰国したのは1年ほど前。PCR検査が課せられる直前だった。しかし日本では成田国際空港近くのホテルでの強制隔離が待っていた。そのときに比べれば、日本の水際対策も緩和され、だいぶ楽になったた。タイから帰国する場合は、強制隔離がなくなり、自主隔離の必要もなくなった。しかしタイでのPCR検査を受けなくてはならなくなった。金銭的な負担は増えてしまった。
さて、日本入国はスムーズに進む? これでコロナ禍の旅は4回目になるが、日本の空港での混乱が蘇ってくる。前回、世界一周をしたときは、メキシコからの飛行機に乗っている間に日本の水際対策が変更になるというドタバタ劇。そういう体験ばかりを味わってくると、どうしても疑い深くなってしまう。

 旅の期間:3月14日~3月15日
※価格等はすべて取材時のものです。  

少しずつ便は増えてきたが直行便が中心のバンコク路線


(旅のデータ)
東京とタイのバンコクを結ぶ便は少しずつ増えてきていた。日本航空、全日空、タイ国際航空⋯⋯そしてコロナ禍の間も粘り強く就航を維持した日本航空のLCC、ZIPAIR。増えてきたといっても直行便が中心。コロナ禍前は、台北、香港、ソウルなどで乗り継ぐ便も多く、そこにLCCも加わって選択肢は広かった。運賃や就航する時間帯を考えながら選ぶことができた。その時代には遠く及ばないが。僕はマイレージの関係から全日空を選んだ。そう、またマイルを貯める旅が戻ってきた。しかし機内は空席が目だった。コロナ禍からの回復はまだまだ先だ。

1年前に比べると就航便は隔世の感ですなぁ

(sight 1)

コロナ禍でバンコクのスワンナプーム空港から出国するのは3回目。日本への帰国が2回、ここからトルコのイスタンブールに向かったのが1回。1年前は湖の底のように静まり返っていた。それから少しずつ、本当に少しずつ利用客は戻ってきた感じだ。そしていまはこんな光景。ちょっとほっとする。
 
(sight 2)

少しずつ回復する空港のにぎわい⋯⋯それは就航便の数に反映される。スワンナプーム空港のチェックインカウンターはABC順に並んでいるが、その脇には、チェックインカウンターを利用する航空会社名が表示されている。今回、このカウンターには航空会社6社の名前が掲げてあった。1年前はどうだった? 次の写真で。
 
(sight 3)

寂しい限りだった。このカウンターを利用する航空会社はゼロ。使っているチェックインカウンターは3割ほどだった。まさに隔世の感。しかしこの表示はかなり高いところにある。電線の工事などで登場する高所作業車みたいなものがあるのだろうか⋯⋯などと見あげながら首を傾げてしまう。
 
(sight 4)

出発便を表示する電光掲示板もずいぶんにぎやかになった。パリ、東京、アムステルダム、アブダビ⋯⋯。スワンナプーム空港の離発着便は、コロナ禍前、成田国際空港や羽田国際空港をはるかに超えていた。その頃にはまだ及ばないが。よーく見るとタイ国内線も混じっている。この空港は国内線もかなり利用する。それを差し引くと⋯⋯まあ、これだけ埋まっているからいいとしよう。

免税店はリニューアル工事に入っていた。ここが日本との違い

(sight 5)

チェックインフロアーに比べると、免税店エリアはやはり寂しかった。開いている店はまだ半分にも満たない。とくに高級ブランド品の専門店の多くは、まだシャッターがしっかりと降ろされていた。見境もなく買ってくれた中国人がまだやってこないため? それとも一度解雇した販売スタッフが集まらないから?
 
(sight 6)

スワンナプーム空港の免税店の最大手、キングパワーの店も多くが閉まっていた。しかしなかから工事の音が聞こえる。日本の国際空港との違いは、コロナ禍を利用して、店舗のリニューアル工事をはじめたこと。イミグレーションも半分を閉めてリニューアル。資金的に余裕がある? 本格再開への期待度の違いだろうか。
 
(sight 7)

搭乗口に進んでいく。開いている店がどんどん減っていくので、先に進むにつれて暗くなっていく。音もしない。もしかしたら搭乗口を間違えたのかも⋯⋯と不安になり、搭乗券で確認したほどだった。便は増えつつあるが、乗客数は追いついていないということだろうか。自分の足音だけがコツコツと響く。

 僕はそれほど影が薄い存在なのか


(sight 8)

羽田国際空港に向かう全日空の夜行便の乗客数はこの程度でした。コロナ禍前はほぼ満席だったのだが、3席を自由に使うことができた。映画をふたつ同時に観ようかなどと考えてしまった。コロナ前、羽田国際空港とバンコクを結ぶ全日空便は1に2~3便あった記憶がある。それがいまは1便。それでもこの搭乗率⋯⋯。
 
(sight 9)

個人的な話だが、僕はときどき、機内食をもらえないことがある。配膳カートの食事がなくなり、次のカートに切り替えるときなどに多い。「あのー、機内食をもらってないんですけど」というと、慌ててもってきてくれるが。僕はそれほど影が薄い存在なのかと、ちょっと落ち込む。今回は無事、配られました。

寝入ってしまう人も少なくない


(sight 10)

羽田国際空港に到着した。コロナ禍の旅で、羽田国際空港に帰国したのははじめてだった。ターミナルに入り、いったいどこを歩いているのかまったくわからなくほどぐるぐるまわされる。途中、何回か書類のチェック。早朝ということもあるのかもしれないが、スタッフも疲労の色が濃い。待っては進み、また待ち⋯⋯と1時間ほど。抗原検査の待合室でやっと座ることができた。その光景は次の写真で。
 
(sight 11)

皆、夜行便で空港に着いた人たちだから寝不足気味。抗原検査の結果が出た人の番号が表示されるのだが、なかなか番号が進まない。寝入ってしまう人も少なくない。ここで寝てしまったら、空港を出るのが遅れる⋯⋯と頑張って目を開くのだが、ついつい舟を漕いでしまう。慌てて気がつき、表示を見るが、まだ僕の番号はない。ただ待つしかない1時間半だった。
 
(sight 12)

やっと僕の番号が表示された。「陰性です」といわれ、そこから先は一気に進む。最後にもらったのがこの2枚。僕はカンボジア、タイからの帰国なので、この後、とくに報告しなくてはいけないことはない。かつては強制隔離やMySOSのビデオ通話や位置情報確認のプレッシャーに晒されたが、それもない。やっとすっきり。ここまで約3時間でした。
 
(sight 13)

なんだか緊張も解けてトイレへ。ふと見ると、ハンドドライヤーが使用できるようになっていた。空港のトイレがそうなったのか⋯⋯と胸をなでおろす。コロナ禍の帰国はこれで4回目。到着してから時間がかかったが、指示された通りに進めばいい。前のようにいろいろな説明を受けることもなかった。これも緩和ということなのだろう。

コロナ禍が終わりに近づく感覚をモノレール乗り場で味わう


(sight 14)

荷物を受けとって外に出た。すぐに電車に乗って帰宅できたのだが、なんとなく出たところにある椅子に座ってしまった。これまでの帰国で、この場所で待つことができなかった。隔離ホテルへ向かうバスに誘導されたり、自主的に確保した空港近くのホテルに向かう帰国者用のバスを待ったり⋯⋯。ようやく普通の帰国に近づいてきた。それを味わいたいというわけでもなかったが。
 
(sight 15)

空港ターミナルから浜松町行きのモノレールのホームへ。妙に新鮮な感覚だった。これまでは公共の交通機関を利用することができなかった。知人に迎えにきてもらったり、格安の帰国者用のタクシーを利用したり⋯⋯。電車に乗って帰宅したことがなかったのだ。少しずつ普通に戻っていく⋯⋯。コロナ禍の終わりに少し近づいていく⋯⋯。
 
【次号予告】コロナ禍の旅、カンボジア・タイ編はこれで終わります。次回は1回休載。7月8日からコロナ禍の旅、ラオス・バングラデシュ編がはじまります。
 
 

















新しい構造をめざしています。