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PCR休暇。電気を使わないカンボジアの村でひと⋯⋯息。

プノンペンに戻った。次に向かうのはタイ。今年3月の時点では、タイ入国時にPCR検査の陰性証明書が必要だった。カンボジアでPCR検査を受けられる施設があるのはプノンペンのみ。PCR検査の結果は翌日の受けとりになる。プノンペンに滞在しなくてはいけなかった。
タイへ向かう飛行機は、翌日の夕方の便を選んでいた。ところがプノンペンに戻った日、夕方の便が翌朝に変更という連絡が入る。「なに──ッ」。通常ならプノンペンにもう1泊でことはすんだが、コロナ禍ではそう簡単にはいかない。タイに入国する便が変わると、入国許可にあたるタイランドパスを再申請しなくてはならなかったのだ。そのサイトには7日~10日前には申請と記されている。しかしフライトの連絡は2日前。これで許可がとれるのか? 慌ただしい時間がすぎていった。

旅の期間:3月2日~3月3日
※価格等はすべて取材時のものです。


パスツール研究所のPCR検査は80ドルと良心的料金なのだが


(旅のデータ)
僕が訪ねた頃、PCR検査を受けることができる施設はプノンペンにしかなかった。最近はシェムリアップでも検査を受けることができるようになったようだ。
プノンペンでの検査施設は2ヵ所。パスツール研究所と国立公衆衛生研究所だ。ほかの国ように病院やクリニックではない。パスツール研究所は予約が必要だが80ドルとやや安い。国立公衆衛生研究所は予約の必要はないが130ドルかかる。
シェムリアップではシェムリアップ州立病院で受けることができる。費用は130ドル。
この情報は2022年4月現在。

朝、パスツール研究所に出向くと⋯⋯密

(sight 1)

プノンペンに着いた翌朝、PCR検査代が80ドルと良心的なパスツール研究所に出向いた。ホテルからは歩いて5分ほどだった。実は事前に予約のメールを送っていた。しかし空きはないという返事だった。プノンペン在住の知人に訊くと、「予約はいっぱいという返事でも朝行くと検査を受けられることがある」という。それに期待して施設に入ったのだが⋯⋯。
 (sight 2)

写真の左側が受付だった。若い男性スタッフが英語で訊いてきた。「予約は?」「ないんですが」。するとこういわれた。「今日はもういっぱいです。皆、2週間前には予約を入れているんです」と向かいの待合室を指さした。密では⋯⋯と思えるほどの人が検査の順番を待っていた。「だめか⋯⋯」。案内されたのは国立公衆衛生研究所。その施設のことはわかっていた。予約なしで検査を受け付けてくれるが、130ドル⋯⋯。パスツール研究所が予約でいっぱいになるはず。この差50ドルは大きい。しかし今日、検査を受けるしかない。首うなだれ、トゥクトゥクに乗った。

国立公衆衛生研究所のなかの通路を延々と歩く

(sight 3)

トゥクトゥクは3ドルだった。なんだか足許を見られている感。国立公衆衛生研究所の入口は地味だった。ここで130ドルかとため息ひとつ。しかし僕は甘かった。小さな施設という印象は、建物の間の通路を歩きながら覆される。矢印に沿って進むのだが、いくら歩いても検査会場が現れないのだった。ここは無駄に広い施設?
 (sight 4)


国立公衆衛生研究所のなかのこういう通路を延々と歩く。どこを歩いているのかわからなくなる。矢印だけを頼りに進んでいく。きっとこの検査施設も混んでいるはず⋯⋯と足早で歩いていく。数人は追い抜いただろうか。と、椅子が並ぶ一角にでた。訊くとここは結果を受け取る場所。検査会場はもっと先、といわれ、さらに歩くと⋯⋯次の写真で。
 (sight 5)

やっと着いた。検査の順番を待つ人たちが座っていた。この右手が受付。そこでパスポートを提示すると、渡航先を訊かれ、航空券もといわれる。フライトはすでに翌日に変更になっていたが、それを見せると、「明日」といわれる気がして、キャンセルになった古い航空券をみせた。これから長い待ち時間に突入していく。
 (sight 6)

屋外待合室での待ち時間は短かったが、屋内待合室に入ると⋯⋯。受付窓口が6ヵ所あり、それぞれにスタッフはいるのだが、動いているのはひとつだけ。ほかの窓口の人はただ座っているだけ? もう少し働いた方が⋯⋯とぼんやり座るスタッフに視線を向ける。やっと名前が呼ばれた。この検体を入れる容器を受けとったのが1時間後。さらに1時間近く待たされて、ようやく鼻の奥と口に綿棒。カンボジアは2ヵ所から検体をとるスタイルだった。そして130ドルの支払い。現金を渡した。

カンボジアにきたなぁ

(sight 7)

PCR検査の結果がわかるのは、翌日。その間、プノンペンにいるのも⋯⋯。郊外の村に住む知人の家に行くことにした。彼が迎えにきてくれた。シェムリアップ、プノンペンから離れ、一気にカンボジアのローカルエリアに入っていく。途中の食堂で昼食。中央にそびえるのは揚げた春雨を使ったサラダ。ドレッシングは甘酸っぱいカンボジア風味。なんだかほっとする。
 (sight 8)

別にラテライトという赤土の道が好きというわけではない。雨季になると水を含んで手こずる道になってしまう。しかしこの道を車で走ると、カンボジアにきたなぁ⋯⋯感にじんわりと包まれる。車の揺れと牛の澄んだ目と一緒に。プノンペンから1時間と少しで、こういう世界が待っている。

カンボジアの村でいつも考える「満足の尺度」

(sight 9)

知人の家に着いた。カンボジアの農村ではごく普通の建物。敷地は広いから、庭というか畑にはマンゴーやバナナの木。葉もの野菜を育てる小さな畑もある。水道は通っているが、瓶に貯めた雨水を使うことが多い。水道は便利? そうも思えない暮らしぶりにいつも悩む。インフラってなんだろう。

 
鶏は村の共同所有なのだろうか。その暮らしは意外と深い

(sight 10)

隣の家の女性が畑で育てた野菜を摘んでいた。家はラテライトの道を挟んだ反対側にある。牛の放牧で生計を立てているが、日々の野菜は自給自足に近い。訊くと1ヵ月の生活費は50ドルほどだという。これでもちゃんと普通に生活できる。カンボジアの村に入るといつも思う。満足の尺度を。
(sight 11)

村にはそこかしこに鶏がいる。親は子を連れ、近くの家を縦横無尽に歩きまわる。家と家の境界は木製の柵だから行き来は簡単。で⋯⋯。「今日は鶏でも食べようか」と1軒の家の奥さんが思いたつと、男は近くを歩いている鶏を捕まえる。2時間後、みごとな鶏料理になってテーブルに載る。鶏って村の共同所有? 「いや、そうでもない。それがわかるのには年月がかかります」と知人。村の暮らしは深い。

電気は通じていても、クーラーボックスが冷蔵庫

(sight 12)

村には電気が通じている。しかしどの家も冷蔵庫は、この大きなクーラーボックス。底に氷を入れ、そこに飲み物。その上にある仕切りの上に野菜や肉類を載せる。これでなんの問題もなく、日々の生活は営まれていく。「電気冷蔵庫よりずっと便利ですよ」と知人。彼は40歳代まで日本で暮らしていた。カンボジアの村の暮らしに入ると、ときに目からウロコ。冷蔵庫ってなに? クーラーボックスを眺めながら、なかり悩む。
(sight 13)

しつこいようだが、村には電気がきている。しかしどの家にもクーラーはない。寝るときは皆、蚊帳のなか。建つけの悪い壁の間から吹き込む風が心地いい。昔から思うのだが、蚊帳のなかは妙な安心感がある。蚊帳に守られているという安心感? だからだろうか。熟睡の夜が待っている。

田舎の寺に漂う村人との一体感

(sight 14)

村の寺に散歩がてら出かけてみた。赤土の道を20分ほど歩いて。寺は村の規模にはそぐわないほど立派だった。シカやゾウなどの動物の像が境内に点在してる。いくつもの庫裏。日陰で僧侶がぼんやりしていた。静かな風が流れている。こういう空間が村を支えていることが伝わってくる。
(sight 15)

本堂に入ってみた。仏像が安置された部屋の広間に村の人たちが集まっていた。近々祭りがあるのだという。その飾り物づくりに集まった人たちだった。笑い声が高い天井に反射する。プノンペンやシェムリアップの寺とは違う村の人たちとの一体感。この村にきたのは2回目。前回同様、今回も1泊。1ヵ月、いや少なくても1週間はいたい。前回もそう思っていたことを思い出していた。
 
【次号予告】来週は1回休載。次回は5月13日。カンボジアからタイに向かいます。
 
 
 
 
 



新しい構造をめざしています。