情報ビジネス(無形商材)を学んだら、売上が5倍になった
こんにちは、かよです。
これまで、10以上の有形商材ビジネスをやってきたからこそ感じる、情報ビジネスの威力について話そうと思います。
私がいままで扱ってきた商品の多くは化粧品、インテリア、家電、健康食品などなど有形商材と呼ばれる形のあるものです。
21歳のとき、すでに年商10億円規模の会社の社長になっていました。
現在は上記に限らず、不動産や情報ビジネス、企業向けのSNS運用、コンサルタント事業なども展開しています。
有形商材ばかり売っていた私が、なぜ、有形商材のみでも十分生活できるだけの稼ぎがあるにもかかわらず情報ビジネス、いわゆる無形商材に参入したのか?
それには2つの理由があります。
1つ目は原価。
当たり前ですが、有形商材には仕入れがあります。
雑貨やインテリアなら定価のおおよそ20〜30%くらいが仕入れ価格です。
これだけを考えれば、80〜70%が利益のように見えますが、
実際はそれ以外に仕入れるための検品、送料、倉庫での管理費なんかがかかってきます。
返品や不良品がある場合もありますし、そもそも売れなければ仕入れた分だけ損をします。
海外からの仕入れではここ最近のように円安になっただけで、100円で買えたものが150円、200円になりますから、突然原価が倍になって、売っても売っても儲からないなんて商品もありました(苦笑)
それに対して情報ビジネスというのは仕入れといえば情報、知識くらいで、
送料も、検品もありません。ちゃんとやれば、90%が利益になります。
2つ目は”一人で完結することができる”ということです。
情報ビジネスというのは基本的に”一人で完結すること”ができます。
というのも、21歳で年商10億円社長になったとはいえ、当時の私は従業員170人、仕入先の人も合わせると1年間でおよそ300人ほどの人と関わらなければいけませんでした。
ざっくりいうと、300人で10億円の売上を作っていたわけです。
ただその300人のなかには20歳そこらの女が社長をやっていること自体が気に食わないとか、そんなしょーもない理由で足を引っ張る人、突然退職する人、陰口を言う人、
ひどいときには、突然会社のど真ん中で”全く身に覚えのないことを怒鳴り出す人”とにかくカオスでした。
おかげで私は22歳のときにはパニック障害などいくつかの精神疾患を併発していました。
社長なのに
「誰にも会いたくない」
「今日はいつ怒鳴られるんだろう」
外に出ること、人と会うこと考えるだけで涙が止まらない程
(今思えば本当に限界を超えています)
会社で過呼吸を起こすことも日常茶飯事でした。
このままでは自分が壊れてしまう(もう壊れてましたがw)と思っていたとき、
ある知人に私は思い切って、”人間関係に疲れた”と悩みを打ち明けました。
その知人というのが、情報ビジネスで20億円以上をたった一人で作ってきたような、超人で。
これが情報ビジネスとの出会いになります。
当時の私からしたら、”たった一人で””数億円”という売上(それもほぼ利益)が出てしまうというのは意味不明でした。
当時の私に全く想像できませんでしたが、
とにかく”人間関係で悩みたくない””人と関わらずに、生活できるなら”と
いう思いで、情報ビジネスを学ぶことにしました。
1ヶ月ほど勉強したあたりから、少しずつ無形商品が売れるようになり、3ヶ月ほどで学んだ内容を活用したちょっとしたコンサルができるようになりました。
数万、数十万と当時は小さな金額でしたが嬉しかったです。
それから私は、情報ビジネスで学んだ”あること”を、それまで販売していた有形商材ビジネスに転用してみました。
すると、なんとそれまでの5倍の売上になったのです。
は!?えぇ!?
驚きのあまり思わず叫びました。
同じ商品で、値段もそのまま。
”あること”をしただけで、いとも簡単に商品が売れはじめたのです。
その”あること”というのは
”ストーリーをかく”ということです。
情報ビジネス、無形商材というのは基本的に
”知識”や”ノウハウ”が商品になりますが、日本は情報大国なので
インターネットや図書館、本屋なんかに行けば無数の”知識””ノウハウ”
が落ちています。
そのため”差別化”が大切なのですが、その”差別化”をするために重要な役割をしているのが”ストーリー”です。
私はもともと化粧品やインテリア、家電などの販売をしていましたが、これらの商品はいいものを一所懸命作っても、売れるようになった途端、大手や中国のメーカーがすぐに安く、いいものを作ってきます。
一個人や、中小企業が大手に負けない商品、いいものを、安く作って売るというのはほぼ無理なわけです。
いいものを適切な値段で売ることができれば、大手や中国などのメーカーと戦う必要がなくなります。
それを可能にするのが”ストーリー”なのです。
情報ビジネス、無形商材にかぎらず、有形商材でも
このストーリーさえかけてしまえば、差別化が簡単になり、有形商材だろうが無形商材だろうが、商品がバンバン売れていくという流れを作ることが出来るようになるわけです。
私が最初に取り掛かった商品は「米ぬか美容液」
まず、大前提として、化粧品というのは商品自体で差別化をするのがめちゃくちゃ難しいです。
なぜなら、デパートに並ぶような大手メーカーを除いて、国内に数か所ある工場のどこかで作られています。
ブランドAとブランドB、別の会社の商品でも、同じ工場で作られているのが常識です。
また、日本では安全面への配慮から、化粧品に使える成分を法律で厳しく規制しているため、使える成分が似たり寄ったりになります。
また、成分の表示も義務付けられています。
工場に持ち込み、分析にかければ、更に詳しく解析することができます。
これらの理由から化粧品というのは商品自体で差別化をするのがめちゃくちゃ難しいのです。
これでは到底戦えないと思った私は、オリジナルの美容液にストーリーをつけることにしました。
実際に私がどんなストーリーを書いたのか、簡単にご紹介します。
商品「米ぬか美容液」 価格12000円
・美容専門学校で学んだ知識を活かして、本当にいいものを作りたいとおもい、本物の美容液を作ろうと思いました。
・私は本当にいいものを作るための原料を探しもとめて、日本全国、数十件の化粧品工場を巡り、一軒の素晴らしい工場に出会うことができました。
・その工場独自の”米ぬかエキス”に出会います。
私は「これしかない」と思い、この工場で、この”米ぬかエキス”で、本物の美容液を作ることにしました。
・この美容液を生産している工場は東日本大震災で大きな被害を受けました。
・そして、この美容液の主成分である”米ぬかエキス”の原料は”東北のお米からできています。
・その工場への感謝と想いを込めて、東日本大震災の復興シンボルである”奇跡の一本松”をパッケージにデザインしました。
・この美容液の売上の10%を、東日本大震災からの復興のために寄付します。
このようなストーリーです。
差別化が難しく、新規のブランドの99%が3年以内に潰れると言われる、化粧品業界に全くの未経験だった私が作った商品が爆売れしたのです。
やったことは”ストーリーをつける”ただそれだけです。
めちゃくちゃシンプルです。
だけど、ストーリーを付けなければ、ただの無名の美容液が1万円以上で売られていても、見向きもされません。
商品への想いや、工場との出会い、素晴らしい成分が使われていること、それまでの苦労、現在のとりくみ、物事への考え方などを、このストーリーがあることでより多くの人に伝えることができ、ストーリーに共感した人が商品を購入したくなるのです。
私はこのストーリーを作ることができたからこそ、業界未経験で、無名だったにも関わらず高級美容液を売ることができました。
このように、ストーリーさえかけてしまえば、誰でも、どんな商品でも売ることができるようになるわけです。
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