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「愛」って水みたい

最近感じた「愛」


この前の火曜日、同じシェアハウスの住人から、グループラインに1つのメッセージが入る。

"PCRの結果出た、コロナ陽性だった"

8人の内の1人。同じような症状がもう1人。
自分を含む6人は濃厚接触者として認定された。
もうほとんど感染間違いないだろうなと思ってます。

まずは、各々が各方面に連絡。
そして保健所からの連絡きて陽性者を中心にヒアリングが始まる。
そのあとは、素人たちの憶測レベルで、どこが感染ルートだろうとか。これから各々どうするのがいいかとか。1人が最低限の買い出しに代表して行ってくれたり。

あれ、普段生活時間ばらばらで、ちゃんと顔合わすこと少ないのに、集まったら案外一体感あるやん。仲いい寮生みたいなまとまりあるで。

家族ではないが、家族っぽい。
友達ほど仲いいわけでもない?けど、各々の身内話もずけずけとする。

そういう1つのコミュニティができていて、「愛」あるものだなと、また最近身近に感じた。

「愛」って水みたい

ただ、ただこの形がこのまま続くかといえば、そうではないとは思う。

もちろん、シェアハウスだから人は入れ替わるだろうし、些細な喧嘩から崩壊したり、あるいはもっと家族っぽくなったりするのかもしれない。
もっといえば、ほんの少しみんなが家のこと以外で使う時間が増えるだけでも、関係性は変わる。かもしれない。。

すごく「水」みたいに思う。

ずっと放っておくと腐ったり、蒸発して失くなってしまうかも。あるいは、凍ってしまうかもしれないし。
コップに入れれば、液体でも形状は一定に保つこともできる。いろんな種類のコップに入れればそれだけの形が存在する。
穴が開けば流れていってしまうけど、新しい水を汲んでくることもできる。

注ぎたい「愛」

小さいころからぼくは、「愛」の形にこだわりすぎてしまっていたのだろうと。それゆえに1つめぼしいものを見つけると、”その形にするためにはどうすべきか"を第一に先行してしまっていた気がする。

注ぎたい対象が決まっていても、その形が1つであるとは限らない大切さを身に刻んで生きようと思います。

”それについていかに注いでいくか”を考えることも大切だけど、その「愛」自体が振る舞う姿もまた美しいんだろうなと思う。

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