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線香の香りを聞く午後

休日の昼下がり、じんわりと沁みるような太陽の日射しがわずかに傾く頃。日の光を顔に浴びると、何故かだんだんと瞼が重たくなってくるような、そんな時に、僕は一本の線香を焚く。

真っ白な陶器の皿に、銀色の小さな香立てをそっと置く。そして、良い香りの滲みだす紙の箱から、新しい線香を一本取り出す。その線香を、少し傾けた状態で、香立てに開いた小さな穴に差し込んで立てる。

そうしたら、着火ライターで火をつける。少し重たいレバーを人差し指で押すと、ガチッという音と共にライターの先端に火が灯る。その生まれたての小さな火を、線香の先にじっと近づけて移す。

一瞬、間が空いたあと、線香の先から、つう、ゆらりと細い煙が立ちのぼり、線香のあの独特の煙の匂いが鼻腔を満たしていく。

細く長く、白い煙は天を目指す。その緩やかで実体の無い流れは、時に糸のように、時に帯のように、絶えず変化しながら昇り、やがて空(くう)へ消えていく。

水も、鉄も、人間も、あらゆるものは絶えず引力によって下へと縛られているのに、線香の煙はいとも簡単に、遊ぶように空を昇っていく。しかしある程度の高さまで昇った煙の筋は、何かに攫(さら)われたように、ふっと消えてしまう。

蝋で固めた羽を得て飛んだイカロスは、太陽に近づきすぎたが故に羽が溶けて落ちた、という話があるが、一体、何故、昇った煙は虚空に散ってしまうのか。

じっと線香を見つめていると、その先端が燃え尽き、白い灰の塊と化しているのが分かる。その灰色の範囲がじわじわと下へ下へと広がっていく。そしてある時、突然、音も無く先端の灰は崩れて、皿の上に落ちる。皿に落ちた瞬間、かろうじて線香の形を保っていた灰は、あっけなく崩壊する。

線香の香りはずっと変わらず鼻腔と肺を満たしているのに、灰の塊が皿に叩きつけられた瞬間、なぜだか急に香りが強くなった気がした。僕は、崩壊した線香の残骸を見つめながら、そのことを確かめるように、鼻からゆっくりと吸い込んだ。

太陽が燃え尽きたときの匂いがした。

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