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卒塔婆の美しさについて

 先日、少し涼しかった日、小さな墓地のそばを通った。黒や灰色の、思い思いの形の墓石が、横列をなしてひしめいていた。おそろいの梵字か何かが墨書きしてある卒塔婆が、墓石の列の隙間から、無数に生えていた。

 何だか妙に、その様子が美しい、と思った。

 薄墨色の墓石に、薄汚れた木製の卒塔婆は、良く映える。そして、古い木の板に墨の文字も、良く映える。

 昔は、木札に墨書きで名を記したりしていた。表札もそうであるし、銭湯でも番号の書かれた木札が良く使われていた。死んで切り取られた樹木の一部に、誰かの手によって書かれた墨文字はどうして、こんなに美しく、どこか古めかしく、そしてこの目と脳に馴染むのだろうか。

 文字は書かれた時点で一度死んでいる、というのが個人的な意見だ。虫ピンで留められた昆虫標本のように、生きた動きのまま固められている獣の剥製のように、死んでなお、そこに有り続けることで、我々の脳内で、社会の中で、生き続けるのだと思っている。

 だから文字は美しい。木製の卒塔婆に書かれた文字も、ずっとそこに縫い止められたままだろうから、僕は何度でも眺めたいと思う。

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