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不安定な気温と不安定な私

 近頃は汗ばむほど暖かくなりましたね。この前桜が散ったと思ったら、もう向日葵や朝顔でも咲きそうな勢いですね。きまぐれな気温の変化に惑わされぬ様にしたいものです。

 私はといえば、毎日必死に会社に行き、一日を終えるとすぐ帰宅し、出来合いのご飯を食べて明日の労働に備えて布団に入る生活をしております。
 実は4月になってから瞬く間に体調を崩し、頂いたばかりの有休をこれでもかと使って一定期間お休みしておりました。持病のうつが悪化したのです。
 規則正しい生活を、と会社の看護師さんから言い含められていたものですから、私は必死に「正しい生活」の枠に己をねじ込んで生活しておりました。辛くても朝早くに起き、辛くても外に出て楽しくも無い散歩をし、辛くても早めに布団に入り、それはもう一体何のために生きているのか、と自問自答したくなるくらいには必死に生活しておりました。

 休職中、ふと思い立って名古屋と京都に行きました。名古屋城を見たり、熱田神宮に行ったりして、京都の東寺では人生初の写経をしてきました。
 この小旅行自体は楽しかったのですが、しょせん一時しのぎの楽しみである事に変わりはありませんでした。帰って来るとまた厳しい現実が待っていました。

 この社会で、この会社で生きるには、私は「普通の人と同等」で居なければなりません。そのハードルのどんなに高いことか!そのクリアすべき壁のどんなに多い事か!この世の中で普通にお金を稼ぎ普通に暮らす人々がどれ程すごいことか!
 そしてこの私の至らなさたるや!こんなにも苦しい思いをしているのに「普通の会社員」には到底なれないのだろうと、そう思ってしまいます。

 基本的な労働が1日9時間、週5日、それを数十年もだなんて私には終わりの見えない地獄に感じます。私の弱さ、至らなさを甘えや身から出た錆だとお思いになる方もいらっしゃるでしょう。でもこれは私にとっての純然たる事実なのです。

 この社会で生きるには、うつ病というのは余りにも重い足枷で、ずっとそれを引き摺りながら歩いてきた私はもう疲労困憊で、それでも私は「普通の人」になりたくて、今を生きております。
 今まで幾つも諦めてきました。自分の意志で妥協して、落としどころを見つけて生きてきたつもりです。それでもまだ譲歩が足りないというのなら、私は一体これからどれだけのものを捨てていかねばならないのでしょうか。どれだけのものを自分の意志とは裏腹に手放していかなければならないのでしょうか。
 そしてその先に在る幸せは一体どんな形をしているのでしょうか。

 何も分からないまま影の世界をさ迷う亡霊の様に、私は今日も生きています。

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