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未分化な装い

ファッションほど性差を明確に表すものはない。レディース/メンズのバイナリーはファッションの前提になっている。

2010年代の東京は男性のファッションが極度に中性化してゆくという方向に向かっていた。黒いスキニージーンズ・腰回りが隠れるような太ももまで丈のあるトップス・髪型はマッシュ。これは明らかにこれまでの「男らしさ」に対するアンチテーゼとして出てきたものだった。2010年代の男性のファッションは概ね、筋肉質であること・ヒゲ・短く刈り込んだ髪の毛、といった従来の男性的な身体的特徴をいかにして隠す、という問いを抱えていた。

しかしこの動きは、私には男性性そのものの更新にほとんど何も寄与しなかったと思われた。というのは、中性的で細身の服装は女性に支持される男性像として捉えられていた側面があった。つまり、そうした中性的なファッションに身を包むことが「モテ」るための要素になっていたのだ。

そして2010年代後半から2020年代にかけて、女性のファッションもまた中性化してきた。ビリー・アイリッシュなどに典型的にみられる、オーバーサイズのファッションは女性的身体を隠すという点で、これまで女性に求められてきた女性らしさからの開放の現れの一形態である。その点においては2010年代の男性の中性化に似ているが、女性の場合はそれが「モテ」の条件になっていないという点で本質的に異なる。

男性のファッションが女性ウケという視線を内包しているのに対して、女性のファッションは女性自身が規定していると言えるかもしれない。しかしこれを単に男性からの解放、あるいは女性の自主性の確立として言祝ぐのは時期尚早なように思う。

スキニージーンズなどの細身のファッションが身体の特徴を可視化することで中性化を図る方向性であるのに対して、オーバーサイズは身体を不可視化することで中性化を図る。

ここには明らかな中性化の非対称性が見てとれる。身体の可視化による中性化は男性的身体の否定を目にみえるようにしている。身体の不可視化は女性的身体を、そうとは分からないように目に見えないようにしている。

つまり、男性の中性化は「身体の強調」であるのに対して、女性の中性化は「身体の隠匿」として現れている。

男性の中性化における「身体の強調」は、男性であるにもかかわらずそれを否定するという、「逆説の強調」である。それに対して女性の中性化=「身体の隠匿」は身体の女性性そのものを分からないようにするという点で「曖昧さの強調」である。

ビリー・アイリッシュのファッションがどこかしら少年っぽくみえるのはそのためである。性を曖昧にする作用が働いているからだ。

私はこの傾向を非常に面白いと思う。性の曖昧化は、従来の「男らしさ/女らしさ」を否定しているだけではない。単なる過去の否定であれば、新しく登場したスタイルが新しい「男らしさ/女らしさ」として性差を再生産してしまうからだ。曖昧さの面白い点は、そもそも性差そのものを無効にするような戦略として捉えられるからだ。

その戦略は性が未分化な状態の装いと言えるかも知れない。性の未分化とは男性/女性という分化以前の少年/少女的中性化ということもできる。

この傾向も、一つの流行としていずれは消えてゆくだろう。しばらくして、男らしさや女らしさを再度求める声が高まるかもしれない。しかし、いま曖昧さの主張がファッションにおいてはっきりとした輪郭を持ったことの記録をここに記しておきたい。

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