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なぜ学校教育で英語は身につかないのか

かつては言語習得は幼少期でなければ上手くいかないと言われた時代があった。しかし、現在の研究ではどんなに年齢を重ねていても、言語習得は可能だとされている。もちろん、年齢によって習得速度に違いはあるようだが、とにかく可能である。

私は多くの人と同じように中学、高校で英語を習ったが、全くしゃべれるようにならなかったし、洋画を字幕なしで見ても何を言っているのかほとんど聞き取れないという状態だった。

まず私は大学入学を機に言語習得とはどのような過程なのか、そもそも言葉を身につけるとはどういうことなのかに興味を持って調べてみた。さまざまな論文や本が存在するが、私が最も納得できたのは哲学者ウィトゲンシュタインの言語観だった。

ウィトゲンシュタインの主張は、簡単に言うと、言葉を使って周りの人と円滑にコミュニケーションが取れている状態が言語を身につけた状態であるということだ。

一見、当たり前のように思われるが、大事なのは「使えるかどうか」が基準になっているということだ。言語習得は、単語の意味を暗記することでも、文法規則を理解することでもない。実際にわれわれは日本を話すことが出来るが、日本語の助詞の機能について説明できる人がどれだけいるだろうか。つまり、われわれが日本語を習得していると言えるのは、文法事項を説明できるからではなく、家族や友人を相手に日本語を「使えている」からに他ならない。

そこで私は、大学時代、文法や単語など「目による語学学習」の割合を極力減らしてみることにした。そして英語を使えるようになるために、「口と耳による言語学習」の比重を増やしてみた。

口を使った言語習得において、言語が「使えているかどうか」は相手が自分の発音を、自分の意図した通りに聞き取れるかどうか、ということになる。"I have a sister"を「アイ ハブ ア シスター」と発音しては英語を使えているとは言えない。あえて文字で表現するなら「ア-ィvァ スィstァー」という音を出せないと、相手が円滑に理解できないからだ。

耳を使った学習でも同じである。ここで面白い研究があったので紹介しておきたい。人間は自分が発音できる音は正確に聞き取れるが、自分が発音できない音は上手く聞き分けられないという研究だ。

つまり、日本語で「愛してる」と言われて、それを正確に聞き取れるのは、それを同じように「愛してる」と発音できるからなのだ。ということは、日本人が"right"も"light"同じく「ライト」と聞こえてしまうのは、"r"と"l"の違いを口で言い分けられないからだ、ということになる。

言語習得において口と耳は連動しているのである。上手く発音できる音でないと上手く聞き分けられない。なるほど、ではどうしたら良いのかと考え、いろいろな方法を試してみたが、個人的に最も効果があったのは「シャードーイング」だった。

シャドーイングはネイティブの発話を追いかけるようにして、忠実に音を再現する訓練であり、元々は同時通訳の訓練のために開発された方法論である。この方法がインプットとアウトプットを用いて、耳と口を同時に鍛えるのに最も効果があったように思う。

哲学では、言語は「他者」と言われる。というのも、日本語も英語も自分で作り出して使用するものではないからだ。自然言語とは、すでに他の人たちが使っているもので、その人たちも他の人から言葉を習ったのである。そのような誰のものでもないという意味で言語は「他者」と言われる。

したがって言語習得は他者に「乗っ取られる」ことであるとも言われる。そしてそれは実際、私が英語学習において感じたことでもある。それまで日本語を話し、日本語で思考していたところに、英語がそれを乗っ取る感じがするのである。つまり、日本語で考えて、それを頭の中で英語に翻訳するのではなく、勝手に英語が口をついて出てくる、という感じである。

実際に日本語を話すわれわれは、誰かと話す際に、頭の中でいちいち原稿を作り、それを一字一句正確に口に出しているわけではない。そんなことをしていると、話についていけない。日本人にとって話すということは日本語が自然と口をついて出てくる、ということだ。言語そのものが自分の口を通じて話をしているような感覚。それを哲学では言語の他者性という。

そのような感覚が身につくためには受動的に言語を習うだけでは不十分である。教科書で英語を習うだけでは使えるようにはならない。考える前に英語が口をついて出てくるようにならなくてはいけない。そのための方法として私はシャドーイングを推薦したい。

私が自らの経験と、いくつかの研究などから言えることは、何歳でも言語習得は可能だということ、言語習得は使えるかどうかという基準で判断されるべきであるということ、まず口と耳を使う学習=シャドーイングが効果的であるということだ。

全ての人にとって同じように効果的であるかはわからないが、言語学習で伸び悩む人にとって、シャドーイングなどの「口と耳を使った学習」は試す価値のある方法だと思う。

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