ズルいレトリックの話。

「自分はなんのために生まれてきたのか?」


という問いについて考える瞬間があります。

読者の中にはこの問いが好きな方は多いかと思いますが、

これを自問して世知辛くなってしまう人もいるかと思います。


どちらかというと、この記事は後者の方々へ向けて綴っています。


「自分はなんのために生まれてきたのか?」

インターネットや本をみているときに突如問われたり、就活や自己分析などで回答が求められたりしませんか?


自分はこれまではこの問いに正面から向き合って

「果たしてなんのためだろうか・・」と真面目に取り合っていましたが、最近は「どうでも良い」と考えるようになってきました。


「どうでも良い」と切り捨てた理由は、

それを考え始めると他人の人生を生きてしまうと思ったからです。


というのも、これは社会での役割観を問うような質問なので、

社会のどこかしらに自分の存在意義を後から当てはめにいくような思考を誘います。

当てはめるところを見つけなければ、存在意義が否定されるような感覚に陥らされる。

「自分は社会の中でどのように役に立ちたいか?」とダイレクトに問えば良いのに、ちょっとズルいレトリックですよね。


そもそも人間は、この問いに不向きな生き物です。

人間は、というか、地球上の生物すべてが。

存在を超越した自分がなにかしらの使命を感じて、両親に自分をつくらせて、やっとのことで生まれてきた、なんてわけではないから当然です。


「まだ死にたくないから生きている。」

「好きなことやりたいから生きていたい。」

くらいの本能レベルの片付け方で良いと思うのです。


ズルいレトリックに惑わされずに、

「自分は社会の中でどのように役に立ちたいか?」と変換して考えてみるとちょっとは心を落ち着かせて考えられるのではないかなと思います。

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