「日本の文化を伝える」という難関(清水勝彦研究室ブログ)

最近岸田総理が新たな「クールジャパン戦略」を発表した。うまくいかなかったから修正をかけるということなのだろうが、そもそもの発想が間違っているという発想はないらしい。

「日本の文化を伝えたい」という欲求は国家だけでなく個人にもある。オーバーツーリズムの時代にはさらに叫ばれているように思われる。ただ「文化を伝える」とはどういうことかあまりわからずに繰り返していないだろうか?

文化とは無意識レベルの考えに依存している。だから「○○です」と説明してわかった(わかってもらった)気になっても、それは文化ではなく「○○」が分かったに過ぎない。異文化であるからこそコミュニケーションが必要だが、異文化だからなかなか分かり合えないというジレンマは深い。

ニセコで多くの外国人に触れた経験で勝手なことを言うと、95%の彼ら・彼女らは日本でどうふるまったらいいかわからずに内心びくびくしている。だからちょっと優しくされると「おもてなし」ということになる。4%はわかった気になって傍若無人。本当に分かり合えていると思われるのは1%。問題ばかりが報道されるが、実は単にわかっていないだけ、ということが多い。温泉にビールを持ち込んだり騒いだりする外国人に注意をするとほとんどが「Oh!」とか言って従う。逆に言えば、「注意をする」こそ「文化を伝える」大切なはじめの一歩ではないか。「(企業)文化とは個別具体事例の蓄積」とは星野佳路社長の指摘である。

これは日本人の間でも同じ。世代を超えて文化を伝承していくとは、何が許されて、何が許されないかの「一線」を伝えていくことではないだろうか。

靖国神社の落書きに暗い気持ちになった人は多いだろう。面倒を恐れて何も言わないということは許していると受け取られる。実は面倒くさいカミナリおやじがの小言こそが大切なのかもしれない。眉を顰めたり、にこにこしているだけでは何も解決しない。リスペクトが大切なのは当然として。

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