見出し画像

7.9 旅の終わりのピースサイン~マラケシュ

巡礼残りあと5日、異国で迎える日曜日も最後になる。

おとといマラケシュに着いた。モロッコに入ってからはタンジェ⇒シェフシャウエン⇒フェズ⇒カサブランカ⇒マラケシュというルートを辿った。明日はマラケッシュ空港からパリに発つ。つまり私にとってここがモロッコ最後の町であり、実質的な旅の終わりの場所になる。あとはもう帰るだけだ。

マラケシュに着き宿に向かったが、今回またしても宿があるのが旧市街(メディナ)であることに閉口した。今日も猥雑でぐちゃぐちゃなエリアか、私はどれだけ旧市街に祟られているのか……と思ったが、よくよく考えると私は宿を決める際、Booking.comで「安い順」にソートしていて、つまるところ自業自得、金持ちカオスせず、貧乏人は下町に行けっていうのはどこの国でも一緒なのだ。

マラケシュについては松田聖子の「マラケシュ」程度の知識だったが、着いてみると建物全部がピンク色というか淡いレンガ色に塗られていて面白い。シャウエンの青と対照的。迷宮のようなメディナにおそるおそる足を踏み入れてみると、同じ旧市街でもこれまでと違う雰囲気がある。


今回の旅で私が歩いたメディナはタンジェ、シャウエン、フェズ、マラケシュの4つである。それぞれの特徴は――狭さと汚さは随一、猫好きにはたまらない港町タンジェ、山間の田舎町で観光特需に沸くシャウエン、なんでも取り込んで無化してしまう広大なブラックホール=フェズといった感じ。それに比べてマラケシュは健全な活気に満ちている。

国内屈指の観光地ということもあるのだろう。町が整備されている。じゅうたん屋、タジン屋、編み笠屋、バブーシュ屋、サッカーシャツ屋、スパイス屋、ランプ屋……とエリアがやんわり分類され、店が通りをびっしり埋める。路地もそこまで狭くなく、たまに原付が突っ込んできてあぶね!となる程度。個人的には上野アメ横、かっぱ橋道具街ぽいというか、タンジェやフェズで感じたような「ここまじやべーぞ!」という鳥肌が立つような緊張感は感じなかった。世界各地からやってくる観光客が安心して楽しめるテーマパーク的カオス、ハウスバーモントカレー的カオスといったところだ。

マラケシュのメディナが明るいのは構造的な理由もあるだろう。街の中心に「ジャマ・エル・フナ広場」というどでかい広場がどーんと鎮座している。昔はここで公開処刑が行われていたというが、中央にこの広場があることで全体に開放感と安心感を与えている。フナ広場には食べ物系の屋台が集まり、周囲ではさまざまな大道芸が繰り広げられていてお祭り騒ぎだ。


私はマラケシュに着いたとき相当疲弊していた。クレイジーな暑さ(来週は最高49度!)と予想を超えたカルチャーギャップ、心身ともにラビリンスに迷い込んだような疑心暗鬼のバッドトリップ。まじでカミュの『異邦人』状態というか自分のアイデンティティが溶解する体験の連続に、「早くここから離れたい~」という泣き言を何度も唱えていた。

しかしマラケシュのカオスからは良さそうなバイブスを感じた。カオスの濃度がキツすぎなかった。私はもう一度、メディナを歩き回ることにした。この国の混沌にダイブしてみることにした。


観光地ということもあって客引きはすごい。本来なら辟易させられるところである。しかしどこかドライというか、あんまりガツガツこない。「ヘイ、チャイナ! オイシイ! オカチマチ!」というナゾの呼びかけに吹き出してしまう。店前に果物を華麗にディスプレイして上から声を掛けてくるジュース屋台はここの名物だが、あまりにハイテンションすぎて思わず笑ってしまう。もはや商売というより祭りを盛り上げている感覚だ。

広場の屋台(これも上野アメ横にありそう)で串焼きを食べたときも、しつこくチップを要求された。「きたよ!」とうんざりした気分になったが10ディクラムを渡すととたんにニッコニコになり、店員のおじさん全員が肩を組んできた。「これでおれたちファミリーだかんな!」。たった150円でファミリーになれるのなら、それはそれで最高じゃないかと思えてくる。


私は少しずつ落ち着きを取り戻し、この場になじんでいったのだろう。旅先では「ぼられる」「だまされる」ことに過敏になりがちだが、数十円数百円程度であることが少なくない。だとしたらそれほど目くじらを立てる必要もないし、よくよく考えてみたら自分もフリーランス稼業、相手に吹っ掛けたり駆け引きしてきた人生だ。それは悪意というよりストリートで生きる知恵。結局私も彼らも同じで、日々のごはん代を稼ぐため必死こいてるだけなのだ。

フナ広場が盛り上がるのは、外が涼しくなる日没頃からだ。空がオレンジ色に染まる中、広場にあちこちから人が集まってくる。そこには外国人観光客もいれば、地元の家族連れ、恋人同士、おっさん同士もいる。みんなバラバラで、バラバラなまま楽しんでいる。

それに合わせて広場の混沌もさらに高まる。蛇使いの吹くエキゾチックなラッパ音、どこかでアフリカンパーカッションが鳴り響き、猿回しをしている人もいる。竹馬みたいなものに乗った大道芸人、手にタトゥー風のペイントをするサービス、偽トム&ジェリーの着ぐるみ、偽ブランドの押し売り、ヒヅメの音を響かせて馬車が通る横をトゥクトゥクが走り抜け、その合間を風に流されたシャボン玉が飛んでいく。物売りは前後左右と神出鬼没で、そしてだいぶ慣れてきた空襲警報のようなコーランの詠唱……。

私は広場の端でミックスジュースを飲みながら、その混沌を眺めていた。どれだけ見ても飽きなかった。

カオスというのは、つまり多様ということだろう。多様な人たちが思い思いに各自のビートを刻んでいるから、それは無秩序に見えるのだ。しかしその混沌に身を浸していると、バラバラだった不協和音がいつしかひとつの音楽に聞こえてくる。誰もが勝手に鳴らしているリズムが重なり合い、シンクロし、気付けば豊かなポリリズムを奏でている。それは太古の昔から続く「生きる」という名の音楽だ。

私は広場から少し離れてベンチに座った。

旅の最後がこのマラケシュでよかったと思えた。SAWAKIがサグレシュの断崖で旅を終えたのなら、私のゴール地点はカオスのカーニバルと化しているこのフナ広場がいい。人はもっと好きに生きていい、人はもっとぐちゃぐちゃでいい――私は自分の中に長年巣食っていた「こうでなければならない」という呪縛をここで少しは捨てられただろうか?

私はベンチに座って、スマホのビデオをオンにした。広場内では写真を撮ると「はいお金」となりがちなので、なかなか写真が撮れない。私はこのエリアのシンボルであるクトゥビーヤ・モスクを定点で撮るフリをして、通りを行き交う人たちの様子を動画に収めようとした。カメラをのぞき込んでいると、あれ?と意外なものが目に映った。

イスラムの若い女の子がこっちに向けてサッとピースサインを作り、そのまま通りすぎていったのだ。私は「え?」とカメラごと目で追ってしまった。友達と連れ立った彼女は何事もなかったかのように遠ざかっていく。私は改めて動画を再生してみた。かなり美人の女の子が、確かに一瞬こっちにピースして平然と人ごみに消えていく(※写真は動画から切り出したもの。実際の動画はインスタに)。

最高だな、と私は思った。

この愛嬌、この遊び心、このアドリブ感。この好奇心、このサプライズ、このクールネス。モロッコにもこんなユーモアがあるのだ。そしてなによりもすごい美人が相手にしてくれただけで天国に上るような気持ちになっている自分の本性が嬉しかった。びっくりするくらい単純明快。所詮51でもこの程度なのだ、私の幸せって。

モロッコ最高!――とまでは言わないが、あのピースサインで私のモロッコは十分だ。旅の締めくくりとしては完璧だ。

明日はアフリカを離れてパリに戻る。もう本当に旅は終わるんだな。


松田聖子「マラケシュ」、中森明菜「SAND BEIGE」、沢田研二「カサブランカダンディ」……ある時期、歌謡曲ではエキゾチックものが流行ったが、それが51歳のモロッコ旅で役に立とうとは――って別に役には立ってない。しかしフナ広場眺めながらこの曲は頭に流れたね。リオではないけどカーニバル。モロッコ美女にもミ・アモーレ~♪











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?