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5.20 性善説~アストルガ

サンティアゴ巡礼道24日目。いよいよ旅も中盤から後半にさしかかろうとしている。今日は先日レオンの夜に起こった出来事を手短に書こうと思う。手短に書けるだろうか?

その日、私はレオン大聖堂のステンドグラスに感激したりして静かに一日を終えようとしていた。明日からまた長距離移動がはじまる。今日は早めに寝よう。街の散策で疲れたので夕食も宿の1階にある学食みたいところでいいや――そう思って下に降りたときだった。ひとりの男に声を掛けられた。

男はジャン・レノ似の渋めのおっさんだった。誰かと話していたようだが、私が夕食のメニューを吟味していると話しかけてきた。こう見えて私は日本にいるときから誰彼構わず道を尋ねられるような、公然と人畜無害ムードをまき散らしている男なのだ。

レオン大聖堂のステンドグラスですな

彼は自分のことを「僧(MONK)」だと言った。

「わしこの宿の裏にある教会で神父やっとんよ。ここはレオンのサンフランシスコ地区じゃけど、ここには宿だけじゃのうて学校もあるし教会もあるんで。ほれ見てみい」

つい翻訳機能を広島弁に設定してしまったのでイメージと違うかもだが、彼は知的な口ぶりで私にスマホを見せてきた。なるほど、確かにそこにはきれいな教会や中庭の写真がある。はあはあ、そうですかと私が話を聞いていたら急に男が言ってきた。

「興味あるんじゃったら、これから行ってみん? 連れてっちゃろうか」

えっ?と思った。時刻21時である。スペインは夜が遅く、21時といってもまだ外は明るいが、それでもこれから教会に行く? 私は明日もあるしササっとメシ食って寝るつもりだった。それに言っちゃなんだが急に「ウチの教会来る?」って怪しくない? まさに新手の詐欺的じゃない?

ヨーロッパに来て1ヶ月、巡礼をはじめて3週間。だいぶ異国に慣れてきて、案外いけるじゃんと思ってるこういうときが一番危ないというのは旅の世界の常識である。巡礼で知らない人にホイホイ付いてっちゃダメってお母さんも言ってたワケで私は即座に断ろうとしたのだが、なぜかその瞬間横にいたブラジルと日本のMIXであるモニカさんが「私も行ってもいいですか?」と余計な口を挟んできた。「私も」ってことは、え、俺も?

「じゃあ22時にここ集合。寒いけぇちゃんと上着着てきんさいよ」

ということで気付けば私もYesと言っていた……バカバカバカバカ、流されやすい俺のバカ! ということで私はとっとと寝たいのに22時集合というありえない時刻スタートで、知らないおっさんに夜の教会を案内されることになってしまった。

そして22時……外はもう真っ暗。電気を落とされた宿のロビーも暗い。そんな中、私とモニカおばさんは律儀に厚着して集合した。やって来たパードレ(神父)に付いて夜の街に出る。異国の知らない街の夜って、それだけでビビるもんである。おい、ほんとに大丈夫かいな。

パードレの言う通り、教会は宿のすぐ裏にあった。慣れた手つきで鍵を開ける。この状況も怖いが、夜の教会も怖い。これほとんど肝試しだなと思いながら進むと、写真で見た美しい中庭が現れた。「こっちが機械科でこっちが薬学科で――」。どうも庭を囲むように学校があるらしい。電気が付くと建物は2年前にリノベーションしたらしく、真新しい建材の臭いがする。

そして案内された教会は明るく、清潔なものだった。

これ実際の教会

「あんたらレオン大聖堂見たじゃろ? あれゴシック建築で有名じゃけど、ここの偶像の部分はバロック建築であれより古いんよ」

さすがパードレ。教会のことになると言葉に熱がこもる。自慢げでもある。その中で一番熱心だったのが入口部分のオブジェについて。

「これはサンチャゴ巡礼を表しとるんよ。ここには宗教的理由、それ以外の理由などいろんな人がいろんな理由でやって来る。じゃけどそこに区別はない。どんな国の人も、どんな言語の人も、どんな人種の人も受け容れ、さまざまな人が存在しとるのがこのカミーノなんよ」

いろんな色の木々が異なる人種を表す。上に十字架が

おっさんええこと言うなぁ!……と感心してたら、すぐに言葉を足してきた。「どや、ビールかワインでも飲むか?」。きたきたきた! いったん安心させといていよいよ本性を露わにしてきたか、この悪徳パードレめ! その手には乗らんぞもう23時だし眠いし――と思っていたのに、どうしてモニカさん素直に付いてっちゃうかな……。断れない男である私も当然後に付いて狭い部屋に通される。ああ怖い。ヤバい。これはマジで危険すぎる!

私の前にビールが置かれた。モニカさんはジュース。パードレはコーラ。出会いにカンパーイ!となるが、私は何かおかしな薬でも混入してないかガクブルの疑心暗鬼である。

再びパードレが口を開く。

「いっつもどれくらい歩いとるん? 25キロ? それならええわ。最近は1日40キロとか距離を競う輩が増えてて、あれはアカン。あんなんクレイジーやわ。巡礼言うのは歩きながら自分の過去と向き合い、苦痛(Suffering)を感じ、自身の身体と対話する――それが大事なんよ」

さすがパードレええこと言うなぁ!……と感心しつつ、心の警戒はほどかない。出されたビールも舐めるようにチビチビ飲む。その後、3人でいろんな話をした。パードレは実はイタリア人で、ここに来る前はローマにいたという。日本語に興味があるようで、いろいろ訊いてくる。

「コンニチワって言われたら、こっちは何て返せばいいん?」
「コンニチワには、こっちもコンニチワかな」
「じゃあ、アリガトウって言われたら?」
「アリガトウには……ドウイタシマシテって言うんだけど」
「ドウ???」
「ドー、イタシマシテ。ちょっと難しいかな」
「ドー、イタシマシテ!」
「あ、うまいうまい! そうそう、そんな感じ」

日本、ブラジル、スペイン(イタリア)の文化交流は30分ばかり続いただろうか。そろそろ……という空気になったとき私はとてもホッとしていた。

最後、玄関のところまで私とモニカさんを送りに出たパードレは、私たちの目を見て真剣な顔でこう言った。

「今日こうして出会えたことは特別なことだと思ってる。どうかこの夜のことを忘れないでほしい。これからのあなたの旅路、あなた自身、あなたの家族、あなたの友人、すべての人たちに幸福が訪れることを願っとるよ」

私はパードレと深い深いハグをして別れた。その瞬間、やっと「パードレは本当にいい人だったんだ。巡礼者たちにこのことを伝えたくて誘ってくれたんだ……」ということが理解できた。

私は巡礼者のいびきが聞こえる部屋に入って、ベッドに横になった。そして気が付いた。私は警戒していたせいで、パードレの名前すら聞いていない。3人で記念写真は撮ったがそれはモニカさんのスマホの中で、私はモニカさんと連絡先を交換してないのでパードレの写真も持ってない……。

よくある「旅あるある」だと言ってしまえばそうかもしれない。知らない人に声を掛けられて付いて行くか、行かないか。差し出された提案を好意ととるか、悪意ととるか。訪れたチャンスに、のるかそるか――どうあがいても完全に警戒をなくすことはできないだろう。一歩間違えれば身ぐるみ引っぺがされる可能性もなくはない。

ただ、結局私は最後までパードレを信じていなかった。ビクビクせずもっと心を開いていたら、もっと素敵な時間が持てたかもという悔いは残る。

私は翌朝レオンを出発し、もうあの街に戻ることはできない。離れれば離れるほどもう一度パードレに対面して、感謝の言葉を伝えたいという想いは膨らむばかりだ。

あの夜はありがとう。ビール、おいしかったです――。

もしも私がそう言ったら、パードレはちゃんと返してくれるだろうか。

「ドー、イタシマシテ」

レオンの夜を、私はちゃんと忘れていないよ。




道中のカフェのラジオから懐かしいメロディ。結局私を海の向こうと結び付けてくれたのは音楽と映画とサッカーだったんだよな。




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