もちパイ

和菓子と両義性

先日、Newspicks で日本の美意識について書かれている記事を読んだ。

日本の美意識を語る上でのキーワードとして書かれていたのが
両義性という言葉だ。

0か1ではなく両義性。
極めてダイバーシティを受け入れやすいのが日本文化の特徴である。

和菓子も例外なく両義性を持って進化し続けている。
だが今の和菓子業界には両義性が足りないように思える。
和菓子1.0と和菓子2.0の違いは
定義する上での要素に両義性を意識したかどうかだ。
1.0は線引きのための定義であり、
2.0は革新の連続を伝統としている。
(和菓子1.0、和菓子2.0に関してはこちら)

ここに現代の和菓子業界の停滞感の原因の一つがあるように思える。
伝統の認識と美意識のズレが生じ、業界が一枚岩になれない。
茶道と共に発達した上生菓子などの和菓子1.0を伝統と感じる人もいれば、
新しい和菓子も含めた革新の連続である和菓子2.0を伝統と感じる人もいる。
和菓子のどの要素に、より価値を感じるか、
美しいと感じるかが大切であって、伝統とは何かは正しく認識する必要がある。

このズレは明治時代に洋菓子という言葉が生まれたことに起因する。
近代化を目指した日本において、画一化のための言葉の再定義が行われた際、
それまで菓子と呼ばれていたものが、
当時、西洋から入ってきた菓子文化を洋菓子、
その対比として和菓子という言葉が生まれた。
それまでは両義性をもって、外来文化を既存の日本の菓子文化の中に吸収し、
どちらも内包したその時代の菓子文化を作ってきたはずだ。
言葉の再定義により分断された2つの言葉は、和菓子文化における両義性を失った象徴でもある。

しかし言葉の上での両義性を失っても、和菓子そのものは両義性を保ったまま、今も進化を続けている。
時代に合わなくなってきた和菓子という言葉の代わりに
和スイーツやネオ和菓子という言葉が登場したのは、
日本人の中に両義性が脈々と息づいている証拠である。
そして今その和菓子と洋菓子の壁は溶けつつある。
かつての菓子に戻ろうとしている。

1.0を伝統とするほうが今の日本人にはわかりやすいのかもしれない。
それでは新しい文化は生まれても、既存の文化の進化・昇華にはつながらず、
時代に合わなくなったものから姿を消し、使い捨てのファッション文化になってしまう。
今こそ両義性を意識するべきだ。
クリスマスやハロウィンを受け入れたように、潜在的な意識の中には誰もが持っている美意識ではあるが、それを顕在化させる必要がある。

伝統とは革新の連続である。
両義性の極みと言えるこの言葉を真に理解することが大切だ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!