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【開催レポート】第16・17回市民ゼロポイントブックトーク※当日レジュメあり

第16・17回市民ゼロポイントブックトーク

開催日:第16回:2023年1月29日(日) 於:松本市中央公民館
    第17回:2023年3月19日(日) 於:〃
紹介した本:飯野由里子、星加良司、西倉実季著『「社会」を扱う新たなモード - 「障害の社会モデル」の使い方』(生活書院、2022年)
紹介者:上原(企画運営委員)
参加者:第16回:9人(企画運営委員含む)
    第17回:11人(〃)

当日のレジュメはこちら↓

企画概要のわかるチラシはこちら↓

開催レポート

「障がいのある人もない人も共に生きる長野県づくり条例」が制定されたことを受けて、この条例の「障害」の捉え方の基盤となる「障害の社会モデル」をテーマとして2回連続企画を行った。

この本を買ってはいたもののまだ読めていないという方が、本企画を知って、これから読む参考になればと初めて参加してくださった。
なかなかに難しい専門書でもこうして参加してくださる方がいるのだなぁと、嬉しくなった。

「障害」を「社会モデル」で考えることの重要性について、伝わりきらなかったなぁ、というのが報告者としての感想である。
私としては、その「伝わらなさ」から気づかされることが多かった。
「障害」についてあまり学んだことのない私には、一人で読んでいる段階ではそこまでピンときていなかった、障害者の直面する困難がどのように発生しているのかという「認識論」が軽視されがちな現状に対する本書の問題意識が、実感されたような気がしたからである。

養護学校での経験を話された方がいた。
「障害」がテーマであるから、ぜひ話したいと思っていたのだろう。
そのお話を聞いた別の参加者が、その方の認識は「個人モデル」ではないかと指摘する場面があった。言葉の端々に感じられた障害者に対するパターナリスティックな態度への批判が滲んでいた。「社会モデル」について理解のある方だった。
実践論の重視/認識論の軽視とは、こういう光景のことだろうか。

こんな話を延々と続けるんですか、と思わぬ反発をされる場面もあった。
「見えない障害」にとって社会的障壁となる一般的な認識枠組みについて、本書に記された事例をもとに解説しているときであった。
どうやら事例のなかの障害について「不適切な理解」をする人物を責めているように感じたようであった。
そうか、そちらの人物に共感的になるのか、と思った。
この場面だけではないが、〈「支える側」としてのマジョリティである障害のない人〉に共感的な話をされることが多かったと思う。
その場に流れる優し気な空気に、私は違和感を覚えた。
そのような立ち位置から幾度も発せられた「理解」という言葉。
なぜ「理解増進」ではなく「差別禁止」をマイノリティは求めるのかを、適切に考えられるようになりたいと思う。

2回目の冒頭で紹介した「障害者の村」の障害者・健常者という記述に「分断」を感じるという意見があった。
そういう意見もあるのだなぁと思った。
この寓話は、マイノリティの直面する困難をマジョリティがいかに認識できないのかをとてもよく表現した一種のカリカチュアである、と私は思う。
マイノリティの側からのマジョリティを問い返す視点を、「分断」と呼んでよいのだろうか。
「分断」のナイーブな使われ方に対する批判を思い出した。

障害者の「言えなさ」について、
・メディアにおける聖人的な描かれ方の問題、最近の韓国ドラマでの障害者像の変化(「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」のことだろうか)の指摘
・日本では同質性のもとの集団主義が強く社会的障壁になっているという指摘
・「言えなさ」と「時間」の問題
といった論点もあった。
それぞれに社会の側の問題として考えてみたいと思う。

(上原)



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