【キナリ杯】そしてモンキードライバーは王様になった

大学2年生の頃、ドライブに夢中だった。免許を取得した嬉しさのあまり、大学の友人を外に連れ出しては小さなレンタカーを走らせた。気の合う仲間と知らない道を突き進み、初めての景色を車窓から眺める。それだけで他のどんな娯楽よりも退屈しなかった。アクセエルさえ踏み込めばどこへでも行けるような気がして、怖いもの知らずな僕らはいつだって自信に満ち溢れていた。

あの頃はドライブが生きがいだった。大学の授業は程々に出席し、それ以外の時間は彼女も作らず、週三日のアルバイトとドライブだけで時間を潰した。もちろんバイト代は全額ドライブに費やした。給料日を迎えればすぐに車をレンタルし、友人を誘ってガソリンを大量に気化させた。

ドライブにハマっていくと、友人との会話は「次はどこまで走る?」で全てが始まった。どんなヤツだって同じ車に乗れば、それだけで友達だった。

おそらく昔の僕はドライブ中毒だったのだろう。風を切って走る爽快感がたまらない。特に助手席は最高だ。

助手席はいい。フロントガラスと左手の窓を確保し、移りゆく景色を全身で感じられる特等席だ。目の前のスピーカーから「湘南の風」が響き渡り、まるでライブ会場にいるような臨場感が味わえるのも助手席ならではの特権だろう。車の中のグリーン車だ。

運転?やりたくもない。細心の注意を払いながらハンドルを握り、道行く人の合間を縫うように移動したいとは思わない。車内の安全を守れと言わんばかりに全責任を委ねられるのは苦痛だ。もういっそのこと、僕を適当なところへ運んで投げ捨ててほしい。

そして何より自分の運転技術が一番信じられない。免許を取得して初めて家の車を運転したとき、付き添いで乗っていた父親が「アブナイアブナイ!」と大声で叫び、途中で僕と運転を交代させた。その時から僕は家と近所のスーパーを車で往復することさえ禁止された。

そのため、恥ずかしながら当時の僕は、ドライブに夢中になりながらも、一度もハンドルを握らなかった。風を切って走る爽快感がたまらない、といいながら助手席でせっせとナビの役割を果たしていたのだ。運転手が寝ないように必死になって会話を繋ぎ、少しでも疲れが見えれば、コーヒーを買いにコンビニまで小走りで行った。もはやパシリだった。

ただのパシリではない。優秀なパシリである。他のヤツには任せられない、と皆んなが口々に言うものだから、僕は常に助手席に座った。後部座席から鳴り響く地震のように振動するいびきを背中で受け止め、率先して運転手のご機嫌取りができるのは僕くらいのものだろう。

それでもやはりドライブは楽しい。運転ができないので、運転手を集めてドライブを計画する。計画とパシリ、それらを含めて全てが楽しかった。

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そんな僕のドライブブームの最後は、猿島への旅行だった。あれは2年前のGW半ばで、歩行者がギリギリ長袖を着ていたくらいの暖かさだった。冬の寒さがようやく落ち着いてきたので、僕は青空の下、自然に触れながら嗜むバーベキューを求めていた。美味い肉を焼くことだけを考えてネットで検索していると、何やら面白そうな島がヒットした。それが猿島である。

僕にとって猿島は桃源郷だった。青々とした木が生い茂り、自然溢れる豊かな土地。歴史的な要塞も保存されており、未知の世界に冒険するようなロマンを感じる。そしてなんといっても、周りを海で囲まれた無人島は僕を魅了した。無人島。響きだけでうっとりしそうなその神秘性は、世間の苦しみを何も知らない若者をドライブへと駆り立てたのだった。

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メンバーを集め、いよいよ僕らの冒険が始まった。猿島でBBQをする、という同じ志を持った友人が5人も集まった。無人島で肉を焼き、たとえその端を少し焦がしても、自然の中で食べるBBQは普通の焼肉の何百倍も旨い、と味わいたくてたまらない少年たちである。猿島への到着予定時刻は昼の12時。いきなり友人の一人が一時間の寝坊をかましたが、全員が動揺することなく車は前へと進んでいった。

横須賀市の船乗り場に到着するまで、スーパーで食材を買おう、と誰かが言った。道の途中にイオンを見つけたので、その駐車場に車を停め、全員で買い出しのために車を降りた。初めての無人島を目前にして舞い上がっていた僕たちは、必要以上の時間をかけて近所のスーパーで大量の食材を購入した。

「おい、そんなんじゃ肉足りねーよ!もっと詰め込め!」

「腹の調子を整えるために野菜も買おう。」

「運転手以外は酒でも飲もうぜ。よし、そこにあるシャンパンを買うぞ!。」

「なんだ、シャンパン買うのか。そしたらチーズも必要だな。」

わけのわからない流れでシャンパンとチーズが揃い、大量の肉と野菜を購入した。他には紙皿やアルミホイルなど、バーベキューに必要な細かい道具を一通り揃え、重たい機材は猿島でレンタルできるとのことだった。

旅行は準備からが面白い。場合によっては準備の方が面白い。わちゃわちゃとふざけながら購入した食材を車に乗せ、僕ではなく友達がアクセルを思い切り踏み込んだ。

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そしてようやく、学生の猿5匹が猿島に上陸した。腕時計の針は昼の2時を指している。大遅刻だ。食材の調達で羽目を外した僕たちは、持っていたエネルギーを完全に使い果たし、到着したことの興奮よりも空腹の苦しみの方が上回っていた。完全に飢えていたと思う。

メシ、早く、、肉、、、、。

周囲の景色に目もくれず、ただ真っ直ぐにレンタルショップまで歩く猿5匹。

「2時になりましたので、レンタルを終了しまーす!」

明らかにヤバすぎる声が道の先から聞こえてきた。レンタル終了だと!? もしこのまま僕たちが機材を借りられなければ、今の手持ちで空腹を満たすことになる。つまり、生肉と野菜は使い物にならないとして、チーズとシャンパンで乗り越えるということか。地味にリッチ。いやリッチだけどそんな状況は絶対にいやだ!ここはなんとしてでも借りなければ。

残された体力を振り絞って全員が走り出し、息を切らしながらレンタルショップへと辿り着いた。

「ハアッ、ハア、すみません、、BBQセットをレンタルさせて下さい。」

「大丈夫?君たち。ハイ、BBQセット。炭はこの段ボール箱に入っているから自由に使って。間に合って良かったね。今日のお客さんは君たちで最後みたいだ。」

拍子抜けするほど普通に借りられた。親切なおじさんで助かった。

「あ、生肉を焼く時は気をつけてね。しっかり守った方がいいよ。」

ん。肉を守る?どういうことだろう。

酸欠で機能しない頭で考えていると、友人の一人が機材を抱えて海へと駆け出した。早く焼くぞ、と言わんばかりの勢いだ。他のヤツらも彼の後を追って走り出した。フォーと奇声を上げて水浴びを始めたヤツもいる。僕もおじさんにお礼を告げて走り出す。今はもうBBQのことしか考えられない。

ウキッ、ウキィ。原始人並みの雄叫びを上げながらコンロを設置する。猿にしては手際良く作業を進め、残りは火をつけるだ

火をつける道具がない。先ほどのイオンで買い忘れてしまった。

猿たちの顔に陰ができた。


ウキィーーーー!!(こうなったらもう何としてでも借りるしかねえ!!)


全員が散らばり、BBQ場の来客に頭を下げて歩き回った。

ウキィ!(お取り込み中のところ申し訳ございません。もしよろしければライターを貸していただけないでしょうか。)

ウキキイ!(本日はお日柄も良く、絶好のバーベキュー日和でございすね。あら、そちらのお肉はかなり美味しそうに焼けておりますね。実は私たちの火が)

結局、一人の男性が僕たちに気遣ってライターを貸してくれた。彼は中学校の教師で、生徒を連れて猿島まで来ている最中だった。親切な男性に巡り逢えたおかげで、僕たちはようやくBBQのスタートラインに立てたのだった。この場をお借りして心から感謝申し上げます。

やっとの思いで炭に着火し、豪快に肉を投入する。肉汁が溢れて炭に滴り落ち、ジュッと蒸発する音が一層食欲を掻き立てた。僕は焼く係に任命され、焦がさないように丁寧に焼き色を見守っていた。さすがパシリだと自分でも感心する。するとその時、

ビュオッッツ

先ほどまでは穏やかに吹いていた風が僕らに牙を剥いた。突風のような海風が吹き起こり、僕らの火は一瞬にして跡形もなく消えた。これはまずい。誰か火を守ってくれ。

僕たちの中で最も背の高い友人が指名され、コンロの前で壁になった。イオンで購入したアルミホイルを広げ、少しでも遮る面積を大きくしようと試みる。しかし、海風は時間と共に強くなり、弱まる気配は一向に感じられない。もう少し右。などと指示されながら、涙目で火を守ってくれる僕たちの壁。ありがとう。

そしてその時。

「もう無理や。風が強過ぎてこれ以上火なんか点かんワイ!」

ガラの悪そうな関西弁で誰かが絡んできた。振り返ると、友人の一人がそこに立っていた。彼は生まれも育ちも関西だが、それにしてはいつもより関西弁がキツイような気がする。頬を赤く染めて足下が覚束ない。ん?

良く見ると彼の手にはシャンパンが握られていた。瓶一本が綺麗に空になっている。コイツマジか。未だに火がつかない過酷な状況で、何で呑気にシャンパンを呑み干しているんだ。全く、仕方がない。この際だから責任とってチーズも食えよ。そして、ちゃんと味わってな。

これで壁と酔っ払いの二人が使い物にならなくなった。こうなればもう他の3人で肉を焼くしかない。

バサッ、

ちょうどそのとき、大きな黒い影が僕らの頭上を横切った。僕は驚いて持っていたトングを落としそうになった。次から次へと、今度は何だ。

それはトンビだった。

一羽のトンビが、砂浜に放置していた未だ焼いていない肉に狙いを定め、一直線に急降下してきたのだった。刃物のように鋭利なクチバシとカラスよりも大きな翼を羽ばたかせ、真っ直ぐな目でこちらを睨んでいる。あまりにも突然の出来事に、僕らの肉は1パックほど持っていかれた。なんて凶暴な鳥なのだろう。恐る恐る空を見上げると、他にも四、五羽のトンビが群になって旋回している。

も、もしかして、レンタルショップのおじさんが肉を守った方がいいと助言していたのは、トンビに理由があったのか!

今更ながら助言の意味に気づいたところで、時すでに遅し。トンビは大群になって僕らの肉をつまみに下降してくる。仕方がない。こうなればもう、凶暴なトンビから肉を守る係が必要だ。未だに僕は肉を一口も食べていないのに。。。

最も筋肉質な友人が駆り出された。島に落ちていた棒を懸命に振り回し、肉を守ために戦っている。これが中々の健闘で、トンビは様子を見ながら一定の距離に留まった。でかしたぞ、友人。このまま僕たちの肉を守り続けてくれ。そしてありがとう。


あれ、おかしいな。


冷静に考えてこの状況は何だ。

僕はドライブが好きで友人とバーバキューがしたかった。猿島という無人島に魅力を感じ、これから始まる冒険に夢を抱いてスーパーで食材を購入した。それなのに、友人の一人はアルミホイルで海風を凌ぐ壁になり、後ろを振り返ると関西弁の酔っ払いが、砂浜でトドみたいに横たわっている。横を見れば、肉を守ために棒を振り回してトンビと戦っている戦士もいる。そして僕は、残された友人に焼けた肉をお渡ししていた。美味しそうに肉にかぶりついている友人。そう、彼は僕らの運転手だった。

猿島まで運んでくれた運転手のため、僕らは精一杯の努力で極上の肉をお届けした。僕たちは彼の家来になった。

そして運転手は言った。「美味しいけど普通だね」と。

先ほどまでの強い海風が、急に優しく僕の頬を撫でた。

✴︎

それからというもの、僕のドライブ熱は氷のように冷め切った。バイト代は洋服や飲み会に消え、遠出する頻度も以前より減った。その時の友人とは別々の授業を受けるようになり、前ほどは顔も合わせなくなった。

それでも、たまの休みに出掛けたくなる時は彼女を連れて公園へ行く。助手席の彼女に「アブナイ!」と冷や冷やされながら、ハンドルを握り、窓から吹き抜ける風を感じる。

やっぱりこっちの席も悪くないな。

これからの可能性に賭けてくださいますと幸いです。