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大切なことはすべてサッカーが教えてくれた

2020年4月から1人で上京し新しい生活が始まる。ずっと学生で親や周りの人に頼りまくってきたこれまでを人生の第1章だとすれば、これから社会人として人生の第2章が始まると言える。そんな新生活にワクワクしながらも、この節目のタイミングにもう一度自分を見つめなおすことには意義があると思い、この度noteを書くことに決めた。

自分はずっとサッカーという手段を通して「清水拓真とはこういう人間である」ということを表現してきたのだと常々思う。私はサッカーという手段がなくなった途端自分を表現することが出来ず殻に閉じこもったし、自分をさらけ出すことが怖くなっていた。

そんな自分を変えるためにも言葉を選びすぎず、かっこつけずに自分の思いや考え方のありのままを伝えていこうと思う。

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サッカーへの憧れ

小学生の頃、家族でヴィッセル神戸の試合をよく見に行っていた。親父はサッカー経験者ではなかったのに毎週スタジアムに連れていってくれた。そこで、大歓声の中プレーしている選手や全員が声を出して応援しているスタジアムの一体感に心をグラングランに動かされ、「かっこいい、自分もやってみたい」と思うようになった。

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兄が通っていたこともあり、中学校は大学まで一貫の私立に受験をして入学することを決めた。ここに入れれば10年間受験に邪魔されることなくサッカーに集中できると考え、約1年間勉強に力を入れた。人生におけるはじめての大きな挑戦で、勉強せずにサッカーしている友達が羨ましくて、何回も辞めたくなった。それでも頑張ることが出来た要因はその先に自分がしたいサッカーがあることが大きかったし、その他にも支えてくれる家族や応援してくれる友達のためにという想いが原動力になっていた。

自分主体からチーム主体へ

中学校に入学し念願だったサッカーを毎日できることが嬉しくてたまらなかった。5時間目の授業中にソックスに履き替えホームルームが終わると走ってグラウンドに直行していた。どうしたらメンバーに選ばれるかを考えて試行錯誤しながら練習することや、初めはできなかったことがどんどんできるようになっていくこと、走り込みの時間すらすべて楽しんでいる自分がいた。初めて点を決めた時、格上の相手に勝った時、負けて死ぬほど悔しかった時、もう何年も前のことなのに鮮明に覚えている。

自分にとってサッカーは自分が活躍することがすべてで、チームが勝とうが試合に出れなかったり、出てもプレーに納得できないときは嬉しくなかった。自分本位で相当自己中心的な選手だったと思う。そんな自分をチームメイトはキャプテンに任命してくれた。思えばここが一番の転機だったのかもしれない。物事を考えるときの一人称が「自分」から「チーム」に変わり、どうすればチームが強くなるのか、どうすればチームの力を最大限発揮できるのか、ということを考えるようになった。誰よりも走って声を出し姿勢でチームを鼓舞したり、悩みを抱えてそうな後輩と二人で話したりと、ピッチ内外でチームがよくなるために思いついたことを実行していった。

そんな試行錯誤をしながらもとにかく中学時代は負けまくった印象しかない。最後の大会も自分がPKを外して負けた。チームメイトは自分に託してくれたのに応えることが出来なかった。チームメイトや応援してくれている人が泣いている姿を見て、もう二度とこんな思いをさせたくないと心から思った。そして負けたその瞬間から、高校サッカーでは絶対結果で恩返ししようと心に決めた。 

「サッカーを通して感動を届けたい」が原動力

中学時代の悔しい思いを胸に意気込んで高校サッカー部に入部した。しかし、1年生の頃はトップチームの試合に絡めずスタンドから応援していた。その時に本気と本気がぶつかる緊張感のある公式戦を観て、結果は負けたもののスタンドいっぱいに集まった人々が立ち上がって拍手していたり涙を流している光景を目の当たりにした。小学校の頃に見ていたヴィッセル神戸のスタジアムの光景のように、「サッカーは多くの人を熱く感動させることが出来る」ということを体感し、サッカーを通して感動を届けることが自分の高校サッカーにおける目的になった。

試合に出るためには同じポジションの選手にサッカーの技術面で敵わなかったため、走力や筋力などのフィジカル面でカバーするという長所だけにフォーカスしてとにかく走り続けた。他にも試合中のゲームコントロールやモチベーションになりうる声掛けなど、ピッチ上で必要不可欠な存在になれるよう割と計算して振舞っていた。(ただギャーギャー言っていたわけではない)

他にも自分たちのウィークポイントを伸ばすための朝練のメニューを考えたり、サッカーノートを毎日書いてチームメイトと共有したり、キャプテンとして規律やモチベーションを保つためのマネジメントを考えたりなど、中学の頃より知恵と仲間を頼って実行していった。

そして迎えた高校最後の大会。予選を勝ち抜きいよいよ本選で自分たちの目標までもう少しというところで自分は怪我をしてしまった。ずっとここを目標に取り組んできた。自分がやってきたことのすべてをぶつけたかった。しかし結果的にチームは負けて、スタンド席で高校サッカーを終えることになった。

チームは負けたもののスタンドで湧き上がる歓声や涙に、「人々に感動を届ける」という思い描いていたものは達成できた。それは今までの取り組みがあったからこそ。しかしその反面、キャプテンのくせに最後何もできなかったことの不甲斐なさや、やり場のない悔しさ、もどかしさに押しつぶされそうだった。

最後にピッチ上で戦ってくれた選手や、必死にスタンドから声を出して応援していた選手を心から誇りに思う。「成長」や「仲間」など本気で取り組んだ中で得たものも確かにあった。その一方でどうしても「結果」の出し方が知りたかった。結果を出す選手やチームはどんなものなのか。一流の選手たちと関わってみたかった。それを知るために、大学サッカーで四冠を成し遂げた当時日本で1番強い関西学院大学サッカー部に入部することを決めた。

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今この瞬間、だれよりも努力しているか

大学サッカーへは選手ではなくコンダクターとして入部することを決めた。きっかけは高校の時の恩師が、選手ではない立場でのチームの関わり方を教えてくれたことにある。選手として挑戦してみたい思いも強かったが、怪我のことがあったこともあり、日本一になるためにはコンダクターの方がよりチームに貢献できると思った。とにかく、「日本一になりたい。」その思いだけだった。

サッカーをしていれば誰でも知っているような高校からきた選手や、プロの下部組織出身の選手など、自分からすればスターだらけの集団だった。そんな彼らはサッカーに対する熱量が圧倒的に違った。「プロになる」という夢を口にして、そのために今必要なものを考えて高い基準で実行する、彼らにとってそれは当たり前の基準だったと思うが、目指す先の規模感が違った。

高い目標を掲げないとそれに応じた努力になってしまう

大学4回生として最後の大会であるインカレは全国ベスト4で幕を閉じた。日本一まであと少しだったが、その「あと少し」が分厚くて高い壁だった。目標を達成できなかった悔しさと、もう本気で仲間とサッカーができない寂しさ、いい仲間に出会えたという喜びなどいろんな感情が時間が経つほど湧き出てきた。

コンダクターという立場で入部を決めて、何をしたらいいか初めはわからなかったし、チームに貢献できている実感もなく、早く引退したいと思っていた。それでも、関学には日本一を「共創」したいと思える仲間がいた。

誰よりも率先してチームの仕事をする人、読書などで学んだことをサッカーやチームに落とし込んで少しでも成長しようとする人、だれより周囲を見渡せて足りてないところに適切なアプローチをする人、常に結果で示し続ける人、身近なところに尊敬できる人がたくさんいた。自分自身が壁にぶつかって苦しくて、眠れなくなるくらい悩んでいても、弱さを見せずに頑張っている仲間がいる。だから頑張れた。だからみんなと日本一になりたいと思えた。

自分のやりがいは些細なもので、選手にありがとうと言われたときや、自分が関わった選手がピッチで活躍している姿、それだけでうれしかった。

明治戦のあと、最後のであいさつで竹本が言っていた。「たとえ優勝したとしても、心のどこかであの時これをすればよかった、もっとできた、という心残りが生まれる。このあと少しの後悔を日々消化していかないといけない」


その瞬間を切り取ればいっぱいいっぱいで誰よりも努力していたつもりでも、後々振返れば「もっとできた」と思うことがよくある。完璧主義なのではなくて、そこをもっと突き詰めないと「あと少し」の差を埋めることが出来ないことを自分が分かっているからだと思う。

今この瞬間、だれよりも努力しているか

これからサッカーとは離れても常に自分に問い続けたいと思う。

関学


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ざっと振返ってみても、人生の大半をサッカーに費やしてきたんだと実感する。本当にサッカーから人生において大切なことをすべて教わった。

今後社会に出れば自分よりはるかに頭がよかったり、英語がペラペラだったり、優秀な人たちに出会い競争していかなければならないのだろう。

でも比べるべきは周りではなくて自分。自分の夢に向かって「今この瞬間」に没頭するということだけ。

逆にそんな人たちからいろんなこと吸収してどんどん成長していける、そんな今感じているワクワク感を持ち続けながら、人生第2章へ飛び込んでいきたいと思う。


#サッカー #新生活 #振り返り  

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