餓鬼とはなにか

 「餓鬼」とはなにか。
地獄に住む鬼だろうか。亡霊のようなものだろうか。もがき苦しむ地獄に落ちた人の姿だろうか。

乳飲み子に例えた依存心を捨てなさい、自立しなさいという弁天さんの話を出しているが、「不安」の大きな原因の一つが「依存心」である。何かを頼らなければ不安なのだが、頼っても結局不安は消えないのだ。


そして、餓鬼が好むものが依存心。
依存心に群がる不安が餓鬼。依存心が小さくなると、餓鬼の数も少しずつ減っていく。
一番いいのは餓鬼を寄りにくくすることだ。
逆に依存心が大きくなりすぎれば己が餓鬼となり、餓鬼のボスになり餓鬼山ができあがる。

依存心と信頼は全く違う。
自立してこそ信頼関係が築けるようになる。それぞれの役割を理解し流、成果を互いに確認、大丈夫、できた!
こんな感じです。

日本人が語る「お互い様」という精神も、本来はどちらかが一方的に世話をするわけではなく、互いに持ち場を担い協力しているから「お互い様」なのだ。
信頼というのは「感情」の繋がりではなく、「行動」によって生まれて結びついているということ。

困っている人に手を差し伸べることが「お互い様」というイメージを作られてしまったが、あくまでもそれはその人の「善意」であり、困っている人を助ける「べき」ものではないのだ。

神仏はすべての行いを見ているし、行動をすれば神仏は後押しをしてくれる。
その後押しは「勇気」とよばれるものだ。
無謀なチャレンジ=「勇気」だと思わないでほしい。
人生に勇気は必要。勇気というのは、ほんのちょっと、足を一歩、体を起こす、そんなスイッチだ。

「言葉」は行動をしたからこその経験から生み出される。言葉と行動で生まれた信頼は揺るぎない自分の自信になる。
行動から生まれでた自信は言葉を生み出し、そして、行動と言葉が姿形になり信頼を作ることが出来る。

依存心をなくすために意識することがある。
それは「自分を変えることができるのは自分だけ」ということ。
他人や医者、占いの結果、薬、ブランド物、なにかをまとえば変わるわけでもなく、ましてや他人を変えて環境を変えることではない。もちろん、他人というのは「自分以外の人」であり、家族や子ども、身内、恋人も他人なのだ。
困っている自分を助けられるのは自分の行動なのだ。時として他人から力を借りることがあったとしても行動するのは自分。
これを忘れてはならない。

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