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広告のクリエーターってどうしてそんなに褒められたがるの?と質問されたときの話

『脚本家 坂元裕二』

「カルテット」「最高の離婚」あるいは「東京ラブストーリー」の脚本家といえばこの業界に精通していない人でもちょっとは興味をもってくれるであろう現代テレビドラマ界の巨匠です。

しかも、彼は高校生の時にフジテレビのヤングシナリオ大賞を受賞して20代前半で脚本家として大成しちゃっているわけですよ。そしてこれまでの半生を振り返るこのクロニクルには、椎名林檎や松たか子や瑛太や宮藤官九郎など豪華メンバーが参加しているのです。もう嫉妬しかありませんとはいえ、坂元先生の輝かしい業績と才能の一端を感じるには十分なクロニクルになっています。

さて、僕自身といえば、まがりなりにも誰でもが知っているCMを手がけたことはあるし、「絶対に電通に負ける」という競合コンペで期待されないCチーム(捨て案チーム)のクリエイティブディレクターとして参加しながら、軽やかにそのコンペを勝ち取るみたいな少年ジャンプ的な展開を経験してきたりしてはいるのですが、坂元先生のご活躍に比べれば「本当の意味で自分のクリエイティブをためされてない」という危機感とコンプレックスがいつもあったように思います。

広告クリエイティブの価値を決めるのはクライアントである広告主です。そのクライアントの判断基準は、マーケティング的成功であって、そのクリエイティブに感動するとか楽しませるというのはあくまで手段でしかないです。

だから、競合コンペに勝っても、それはクリエイティブではなく、マーケティングロジックの評価だったりするかもしれないし、逆にコンペに負けても自分のクリエイションの能力が劣っていたのではなく、あくまでクライアントの好みだからと、現実逃避することだってできたわけです。

かつて、広告とは別業界のクリエイティブな人から、「広告やっている人は、どんだけ褒められたいの?」と揶揄気味に質問されたのですが、その時、正直に適切な返答が出来ませんでした。

音楽業界人が、「このアルバムプロデュースしました!」の時は、「この曲聞いてね!買ってね!」だし、プロダクトデザイナーが「この商品作りました!」も「商品を手にしてね!」なんだけど、広告クリエーターが「僕がこの広告つくりました!」って時は、「僕が広告した商品買ってね!」ではないことがほとんど。クリエイションの宣伝が、クリエイションの消費(楽しむこと)と直結しない自己表明。

前の2つの発言は、エンドユーザーでもある(商品のターゲットでもある)友達に対してのいい意味での宣伝になっている。そのクリエイションが「売れる」ことによってその価値が高まるから。

 広告クリエーターの「広告作りました」は、エンドユーザーに対して商品を宣伝したいわけではなく、どちらかというと「こんな仕事してます」な内輪のアピールのことが多いし、広告業界を知らない人に向けては有利誤認としての「このCM”つくった”んだすごいね!」という井戸端の自慢話でしかない。ように思える。

この自己表明の正体はいったいなんなのだろうかと。

そこいくと視聴率とか、本の部数とか、映画の興行収入って、ピュアなコンテンツの評価じゃないですか。褒めるもなにも、具体的なお客さんの数字がついてくる。広告クリエイティブは、身内に褒められる数字以外に、「このクリエイティブがすぐれている!」ということが可視化しにくいんですよね。

だから、Facebookで褒められるとかではなく、ちゃんと自分のクリエイションを試される場所に行きたいな、と思っていて、4年前に高円寺の劇作家スクールに生徒として通っていたことがあります。

そこは、「趣味が演劇です」というじいさんばあさんや主婦の方や、これから演劇でくっていこうとする夢ある若者が集まるカルチャースクールのようなところで、そこにひとり、ギョーカイ人ぶった大柄のおっさんが隅っこで講義をきくという状態。それはそれで新鮮でした。

それで、そのクラスのワークショップの課題で、ショートショートの物語のコンペをすることになったんですね。70人の生徒が、それぞれ1枚ものの企画書を作り、教室に貼って全員で、「上演してみたい作品」を投票で選ぶというものです。

忖度なし、理屈なし、僕の素性もしられていない。そんななかで、いわゆる一般の方に「この企画が観たいか」だけを判断されるわけですよ。得意のプレゼンもさせてくれません。壁に貼った作品のタイトルと簡単なあらすじだけ。

おそらくこれまでのキャリアの中で、一番悶々と悩み、時間をかけ、試行錯誤して企画を生み出し、投票が行われる時は、人生でいちばん緊張し祈るような思いをしていたと思います。「これだ、自分が試されるというのはこういう瞬間だ!」と恐怖とワクワクが同居する気持ち。

これまでの仕事からすればいきなりスケールの小さい体験なのだけど、結果、70人の中から僕の企画は採用されワークショップで上演されることになったのですが、どんなコンペに勝ったときよりも嬉しかったし、どんなメジャーなCMをつくって放映されるのを観るときよりも、その演目が発表された時間は至福でした。

なんでもそうだと思うんですよ。ある程度歳をとってしまうと、自分の能力とかクリエイションが正当に評価される前に、地位とか事前の評判とかのバイアスでどうにでもなってしまうことへの「楽さ」に甘えてしまうことが。だから、このワークショップじゃなくても、釣りでもマラソンでも、なんでもよかったのかもしれません。自分だけの力で努力して、悩んで、フェアな場所で評価されるという体験を異様に欲してしまう瞬間がおっさんにはあるのです。

ちなみに評価された企画とは「甲子園で選手宣誓することになった野球部の主将が、選手宣誓の場でライバル校のマネージャーに愛の告白をしようとする話」でした。なんじゃ、そら。

昔、映画プロデューサーの川村元気氏に「1800円払って見に来てもらうクリエイションと、タダで観ることを前提にするクリエーションは、別次元」と言われたことがあります。まさにその通りで、その2つに取り組めているいまの仕事環境はとても刺激的で幸せなことだなあと改めて思うのです。


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