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コラム:来月は妊婦につき自粛します症候群

🍀時系列に沿っての話は、番号を振っています.

🍀「コラム」の記事は治療内容には関係なく、飛ばしても話はつながるようになっています

前回の記事に夫とケンカをしたことを書いたのですが、

本当に本当にまっさらな、妊娠をすることに何の疑いもない、

妊活の初めの頃から、

排卵日に関係を持ったからには、

「来月には妊婦かもしれない」

と当然のように意識して過ごしていました。


男性側は特に生活を変える必要なないのですが、女性側としては、「もしかしたら♡」という気持ちから、

それこそ、

階段を駆け降りるときに慎重になったり、

満員電車を少し避けてみたり、

自転車ってどうなんだっけ?って思ったり、

煙草の煙を避けたり、

大きなイベントの予定は入れなかったり、

飛行機を伴う旅行は避けたり、

お酒を控えたり、

生肉を控えたり、

「冷え」に敏感になったり、

洋服を買うときに、これ…妊婦でも・・・?と考えたり、

『お母さんになる覚悟』

を伴った生活が始まるわけです。

私にとっても、

「もしかして♡」と、「♡」のついたものから、

「そろそろ?」と、「?」のついたものとなり、

「今度こそ!」と「!」のついた気合に近いものとなり、

だんだんと、願掛けという思いに代わり、

最終的には、

「来月こそは妊婦かもしれませんからっ!!」

という「自粛症候群」

という謎の「修業」に変わっていきました。

私の場合は、もちろん最初の半年~1年は何事も楽しんでいたけれど、

お酒も一切飲まなくなり、

クーラーの設定温度で喧嘩をするようになり、

夫の出張に土曜日1泊だけ付いておいしいものを食べるなんてこともやめ、

体にいいものを食べようとか、ジャンクフードとか体に悪そうなものを拒否したり、頭痛いけど薬を我慢するとか、ダイビングをしないとか冷えそうとか…

いつのまにか色々な「自粛」を自分に強いてしまっていました。

その時はとにかくすべてにおいての目標が「赤ちゃんを授かること」になっていたので、こんな自粛なんて、なんの苦痛でもないし、私自身としては、ライフワークのようになっていて楽しんでいたと思うのですが、

夫から見ると、それは時を重ねるにつれ(出来ない時間が続くにつれ)私を苦しめているというか、修業以外の何もないものとして感じていたようです。

でも、女性誌の妊活特集を見ても、

「冷えは大敵!」

「ショウガで体ポカポカ」

「首という首を温めて♬」

なんて記事がほとんど。

なかなかできない立場にいると、できる為ならなんでも取り入れたい!と気持ちはそっちの方向に持っていかれてしまいますよね。

そして、何より、生理が来た時に、

「できなかった理由」が何かあった方が、

(ex.先月は残業が多かったからなとか、冷える生活をしていたなとか)

前に進めることができて、

それが続けるための「救い」であったような気もします。

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アドバイスにも何にもならないのですが…

今思えることは、

自分のアイデンティティ全てを、

生活の100%を「赤ちゃんを授かる」ことだけに

傾けてしまわないこと

は必要だったかな・・・と今は思えます。

だって今の私から見たら、

32歳の私はそれはそれはピチピチでキラキラで、

夫と二人で色々過ごす32歳の生活も、

今後経験する子供が手を離れてからの年を重ねてからの「それ」とは、

全く違うもので。

盲目に一点しか見えていなかったは、とても勿体なかったなと思えるのです。



でもさっ。だって欲しかったんだもん。

姪っ子もかわいすぎたんだもん。

夫をパパにしてあげたかったんだもん。

とあの頃の私は言うかな。

あの頃色々頑張っていた自分に後悔はないけど、

もし、今頑張っている人がいたら、

少しだけご主人との「今」今日が一番若い「今」も

一緒に楽しんんでもらえたらいいなと思います。

だって、泣いても笑っても「今日」が一番若い二人。

年を追うごとに、二人の興味やできること出来ないことも変わっていく。

なので、「今」の二人が楽しめる「今日」にも、「赤ちゃん」という目標以外にも目を向けて、日々過ごしていってほしいなと思います。



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